新型コロナ禍で何が起きたか。みんな一斉に自らの人生の振り返りを始めたのである。「それならワタシも」と、元GPライダー・ノブ青木が立ち上がり、古いアルバムを漁り始めた。セピア色の写真をめくりながら、脳の奥底にしまわれていた重い扉が、今、ギギギイィッと音を立てて開こうとしている。本編ではバイクの才能が開花した高校生時代を振り返る。
子供の頃は、ひたすらポケバイに乗っていた。最初に走った「コース」は、群馬県北群馬郡子持村の村役場駐車場だ。今ではあり得ないが、昭和50年代半ばのグンマは大らかだったのだ。ちなみに子持村は、合併により'[…]
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時代は、三ない運動真っ盛りだった。高校進学にあたり、公立は絶対にバイクNGだったので、「自己責任で」とうっすらバイクに乗れることになっていた私立の新島学園を受験することにした。そこそこいいキリスト教の高校だったが、「バイクのためだ」と不慣れな受験勉強を頑張り、合格した。
高校生になると、ミニバイクで築いたちょっとした人付き合いや、ホンダのモーレク担当者の紹介などもあって、ワタシはテクニカルスポーツ関東に在籍してRS125でロードレースを始めようとしていた。
ただし、さっきも書いたように、ミニバイクからロードレースという道筋はほとんど前例がなかった。ホンダとしても、ミニバイク乗りのワタシなど、海のものとも山のものとも分からなかったはずだ。
たぶん「なんか速いヤツがいるから乗せてみっか」ぐらいの軽い気持ちだったのではないかと思われる。当のワタシ自身、相変わらずプロになろうなんて微塵も思っていなかった……どころか、そんなルートがあるとは夢にも思っておらず、チームやらロードレースやらと言われても「へえ、そうなんだー」程度の感覚だった。
それでも、前橋で行われたHRC主催のライダートレーニングに参加する機会を得て「ライダーたるもの体を動かすべし!」とすっかり鼻息が荒くなったワタシは、往復60km・2時間以上を毎日自転車通学した。単純なのである。
大きな転機は、高校2年生になろうかという’88年3月に訪れた。鈴鹿サーキットの西コースで行われた鈴鹿サンデーロードレース・ノービス125クラスに参戦し、ロードレースデビューウィンを飾ってしまったのである。
フルコースは事前に何度か走ったが、西コースはぶっつけ本番だった。後に母ちゃんに聞いたところによると、ワタシは母ちゃんに「西コースってどこで曲がるんだっけ?」と尋ねたそうだ。ショートカットする場所が分かっていなかったのだ。
それでも330台ものエントリーがあった激戦で、勝ってしまった。理由はまったく分からない。決勝で3位を走っていたワタシだったが、上位2台が脱落したことによる棚ボタの勝利だった。
だが、この棚ボタがワタシの人生を大きく変える。ツナギやらヘルメットやらをサポートしてもらえるようになったのだ。趣味として始めたレースが、この時をきっかけに……、何も変わらず趣味のままだった。何なら今も趣味の延長線上である。バイクに乗れれば、ワタシはそれでシアワセなのだ
ところで、中学でミニバイクに乗るようになったあたりから、ワタシのライディングフォームはちょっと変わったものになっていた。体を大きくイン側に落とす、いわゆる「ハルナ乗り」である。
ロードレースを始めてからも、ぶっちゃけ今でも、フォームは基本的にほとんど変わっていない。
ミニバイクレースでそれなりに注目されていたワタシは、取材に来ていた『ヤングマシン』誌の編集者に目を付けられ、’86年あたりから「速くて生意気なガキンチョ」として誌面に登場していた。
そして’88年、CBR250Rに試乗したワタシは、なんと表紙を飾ることができたのだ。
「雑誌の表紙なんて、すげえ!」とワタシは大いに喜んだが、その写真を見たある国際A級ライダーが「こんな乗り方じゃダメだね」と言い放ったそうだ。それを聞いたワタシは、「あっ、そう」と平静を装いながら、内心では「チクショー!」と面白くなかった。
ハルナ乗りにこだわりがあったというより、そう乗ると速く走れるからそうしていた、というだけだった。だがハルナ乗りは、実は憧れのライダーのマネをすることで体得したものだったのだ。国際A級ライダーのヒトコトは、ワタシのプライドはもちろん、憧れの人の走りをも傷付けたのである。
さて、その憧れのライダーとはいったい? そしてハルナ乗りの真髄とは!?(続く)
●監修:青木宣篤 ●写真:青木家所蔵 ※本内容は記事公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。※掲載されている製品等について、当サイトがその品質等を十全に保証するものではありません。よって、その購入/利用にあたっては自己責任にてお願いします。※特別な表記がないかぎり、価格情報は税込です。
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