〈連載〉青木宣篤の上毛GP新聞

元GPライダー・ノブ青木の”青き”青春グラフィティ〈芽生え編その2〉

  • 2020/7/13
元GPライダー・ノブ青木の"青き"青春グラフィティ〈芽生え編〉

新型コロナ禍で何が起きたか。みんな一斉に自らの人生の振り返りを始めたのである。「それならワタシも」と、元GPライダー・ノブ青木が立ち上がり、古いアルバムを漁り始めた。セピア色の写真をめくりながら、脳の奥底にしまわれていた重い扉が、今、ギギギイィッと音を立てて開こうとしている。本編ではバイクの才能が開花した高校生時代を振り返る。

前ページより続く)

時代は、三ない運動真っ盛りだった。高校進学にあたり、公立は絶対にバイクNGだったので、「自己責任で」とうっすらバイクに乗れることになっていた私立の新島学園を受験することにした。そこそこいいキリスト教の高校だったが、「バイクのためだ」と不慣れな受験勉強を頑張り、合格した。

高校生になると、ミニバイクで築いたちょっとした人付き合いや、ホンダのモーレク担当者の紹介などもあって、ワタシはテクニカルスポーツ関東に在籍してRS125でロードレースを始めようとしていた。

ただし、さっきも書いたように、ミニバイクからロードレースという道筋はほとんど前例がなかった。ホンダとしても、ミニバイク乗りのワタシなど、海のものとも山のものとも分からなかったはずだ。

たぶん「なんか速いヤツがいるから乗せてみっか」ぐらいの軽い気持ちだったのではないかと思われる。当のワタシ自身、相変わらずプロになろうなんて微塵も思っていなかった……どころか、そんなルートがあるとは夢にも思っておらず、チームやらロードレースやらと言われても「へえ、そうなんだー」程度の感覚だった。

それでも、前橋で行われたHRC主催のライダートレーニングに参加する機会を得て「ライダーたるもの体を動かすべし!」とすっかり鼻息が荒くなったワタシは、往復60km・2時間以上を毎日自転車通学した。単純なのである。

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最初は怖くて泣いたギヤ付きバイクだったが、瞬く間に上達し、速くなった。その要因は本人にはよく分からない。「うーん、ひたすら練習したからじゃね? 走った量よ、量」と語るばかりである。 [写真タップで拡大]

大きな転機は、高校2年生になろうかという’88年3月に訪れた。鈴鹿サーキットの西コースで行われた鈴鹿サンデーロードレース・ノービス125クラスに参戦し、ロードレースデビューウィンを飾ってしまったのである。

フルコースは事前に何度か走ったが、西コースはぶっつけ本番だった。後に母ちゃんに聞いたところによると、ワタシは母ちゃんに「西コースってどこで曲がるんだっけ?」と尋ねたそうだ。ショートカットする場所が分かっていなかったのだ。

それでも330台ものエントリーがあった激戦で、勝ってしまった。理由はまったく分からない。決勝で3位を走っていたワタシだったが、上位2台が脱落したことによる棚ボタの勝利だった。

だが、この棚ボタがワタシの人生を大きく変える。ツナギやらヘルメットやらをサポートしてもらえるようになったのだ。趣味として始めたレースが、この時をきっかけに……、何も変わらず趣味のままだった。何なら今も趣味の延長線上である。バイクに乗れれば、ワタシはそれでシアワセなのだ

元GPライダー・ノブ青木の"青き"青春グラフィティ〈芽生え編〉

’88年に鈴鹿でロードレースに初参戦するや、いきなりデビューウインを飾って注目を集めることに。 [写真タップで拡大]

ところで、中学でミニバイクに乗るようになったあたりから、ワタシのライディングフォームはちょっと変わったものになっていた。体を大きくイン側に落とす、いわゆる「ハルナ乗り」である。

ロードレースを始めてからも、ぶっちゃけ今でも、フォームは基本的にほとんど変わっていない。

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体をイン側に落とすハルナ乗りを体得し、意気揚々と『月刊オートバイ』誌の人気コーナー「俺たちのサーキット」にこの写真を送ったところ、「中国雑伎団みたいな乗り方」というキャプションが付いて凹んだ。 [写真タップで拡大]

ミニバイクレースでそれなりに注目されていたワタシは、取材に来ていた『ヤングマシン』誌の編集者に目を付けられ、’86年あたりから「速くて生意気なガキンチョ」として誌面に登場していた。

そして’88年、CBR250Rに試乗したワタシは、なんと表紙を飾ることができたのだ。

元GPライダー・ノブ青木の"青き"青春グラフィティ〈芽生え編〉

デビューウィンの勢いで『ヤングマシン』同年7月号の表紙を飾ってしまうが、国際A級ライダーにハルナ乗りをコケにされる。ハルナ乗りについては次回以降に詳報するが、要するにまだ時代が追いついていなかったのだ。それにしても勢いのある表紙。バイクブーム全盛期である。 [写真タップで拡大]

「雑誌の表紙なんて、すげえ!」とワタシは大いに喜んだが、その写真を見たある国際A級ライダーが「こんな乗り方じゃダメだね」と言い放ったそうだ。それを聞いたワタシは、「あっ、そう」と平静を装いながら、内心では「チクショー!」と面白くなかった。

ハルナ乗りにこだわりがあったというより、そう乗ると速く走れるからそうしていた、というだけだった。だがハルナ乗りは、実は憧れのライダーのマネをすることで体得したものだったのだ。国際A級ライダーのヒトコトは、ワタシのプライドはもちろん、憧れの人の走りをも傷付けたのである。

さて、その憧れのライダーとはいったい? そしてハルナ乗りの真髄とは!?(続く)

●監修:青木宣篤 ●写真:青木家所蔵
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