三ない運動を推進する都道府県は半数以下

【埼玉でも廃止に】POP吉村の「三ない運動」論

2018年10月5日発行の二輪車新聞によると、埼玉県教育局が、現行の県指導要項を廃止し、条件付きで二輪車の免許の取得や購入、乗車を認める新たな指導要綱を制定、来年4月1日に施行すると発表した。これにより関東地方(1都6県)における「三ない運動」の推進県がなくなる事になった。このニュースに際し、POP吉村氏が三ない運動全盛期の約30年前に、同運動について語った記事も掲載したい。


●まとめ:ヤングマシン編集部 ●資料提供:「Motorcycle Information」2018年4月号(日本自動車工業会刊)/「二輪車新聞」2018年10月5日発行(二輪車新聞社)

禁止から指導することにシフトしているのが今の流れ

高校生に対する二輪車指導のあり方を検討していた埼玉県の「高校生の自動二輪車等の交通安全に関する検討委員会」の報告書には、「提言」の第二に「自動二輪車等の免許取得者に対する交通安全講習の実施など、安全確保対策に万全を期すこと」と記されている。とくに、バイクの利用に伴う事故などのリスクを生徒や保護者にしっかり認識させることが大切とし、リスクに対応できる理念や技術を習得させる交通安全教育を実施すること、と提言では求めている。

ちなみに埼玉県の前例となった群馬県では、2014年12月22日に群馬県交通安全条例を施行し、三ない運動の見直しに踏み切っている。これまでの三ない運動の実施は若年層の交通安全教育を阻害し、結果、高校生の自転車事故や免許取得1年未満の初心運転者事故につながっていた。この事実に向き合い、群馬県での悲惨な交通事故を一件でも減らしていくという趣旨から同条例の議員立法が実現したのだ。ちなみに同県の当時の初心運転者(10代後半から20代前半)の事故者率と自転車事故における高校生の割合は全国ワースト1位。この要因は、三ない運動がその根底にあるという認識が議会を動かした。

※三ない運動とは…高校生のバイク利用に関して、「免許を取らない」「乗らない」「買わない」の3つを提唱する社会運動。

高校生の二輪車安全運転講習(埼玉県)。三ない運動で高校時代を無事に過ごしても、交通社会の一員としての教育はほとんど授けられていないというのが現状だった。それを見直す動きが広がっている。

【YM1987年1月号】POP吉村が三ない運動について語る

若い奴等は、まともに叱られたことがないものだから、文句だけが一人前。大人は大人で、目先の利害以外には知らん顔を決めこむ。事は2輪業界に限らない……全く、最近の世の中はどうかしている!! しかし、私が声高に叫んでみたところで、年寄りの繰り言と冷笑的な連中は片付けたがる。諸君!! 君等は一体、何を考え、何を悩み、自らをどうしたいと願っているのか? 私と語る覇気ある諸君……手紙をよこしてみないかね。

◆  ◆  ◆

君たちの手紙はすべて読ませてもらった。数にすると30数通というところだろうか。そのほとんどに対して、まず、私はこう言っておこう。

勝手にするがいい!!

手紙のほとんどは、自分本位きわまりないもので、いちいちまともに相手にしていられない。パターンはほぼ決まっているが、大体2つだ。ひとつは、自分は高校生で将来、レーサーになりたい。なりたいが、”3ない運動”のおかげでバイクに乗れない。したがって、レーサーになれません、どうしたらいいでしょうか。もうひとつは、将来、ヨシムラ、モリワキに入りたい。今は無理でしょうが、将来は必ずお世話になります。

このテの手紙には、もう、うんざりだ。ヤングマシンの担当がどうしても、この企画を連載で──というから、今後もこの甘ったれた手紙は来るだろう。いちいち、答えていられないから、あらかじめ、まとめて言っておく。

まず、”3ない運動”にまつわる話。”3ない運動”そのものの本質はその場限りの責任回避──これにつきる。2輪に対する偏見、将来ある高校生を事故から守る……etcという学校や社会の言い分は逃げ口上である。今のガッコウという奴はそんなものだ。だから、イヤなら徹底的に反抗すればよろしい。私なら、そうする。”3ない運動があるからバイクに乗れない、レーサーになれない”なんてのは甘ったれてるに過ぎない。16、17歳にもなって、自分が本心から願っていることを貫き通せないような奴が、まかりまちがってもレーサーになどなってほしくないものだ。

確かに、日本のオートバイを取り巻く環境はひどい。何とかならんか、と私も思う。だからといって、じゃ私が君たちの学校をいちいち訪ねていくのか? 私が以前”もう少し、まともにするまでは死んでも死にきれん”と語ったのは、”ひとり、ひとりを何とかしてやろう”という意味じゃない。

繰り返しておく──”3ない運動”は、バカげてる。だが、それが障害となると本気で思ってるとしたらバイクには乗らないことだ。

さて、2つめ。自分はヨシムラ(あるいはモリワキ)にあこがれている。絶対に、将来はお世話になるから、よろしく。あるいは、”死んでもいいからレーサーになりたい”という例のヤツだ。なんとも答えようがない。いったい、これは質問なのか、相談なのか、ひとりごとなのか……。あるいは”夢”というのだろうか? 今の人たちにとって”夢”とは、こんなものなのか。

私の今の仕事は、幼小の頃から考えていた理想の自分という点で言えば、第2志望を選んだ末のことだ。(もちろん、後悔など毛ほどもしてない。)第1志望は御多聞にもれず、野球の選手。当時、名門だった福岡工業で野球をやりたい、甲子園に行きたい──これが私の何よりもの夢だった。ところが、この頃の私の家には中等学校に私をやれるだけの資力は無かった。もちろん、私もそれぐらいはわかっていた。そこで選んだ2つめの夢──空へのあこがれ──を果たすために予科練へと進んだわけだ。(言っておくが、予科練の試験をパスするのは、当時、並大抵のことではなかったのだ。)

私らが14、15歳くらいの時には”夢”はつねに現実と背中合わせで語られたものだ。自分の選べる範囲外のものは、私の感覚では”夢”とはいわない。バイクの雑誌を読むぐらいの年になれば、もう少し自分を知ってもいいのではないか?

君たちの手紙に書かれている”将来”という文字を見るにつけ、私はこう思ってしまうのだ。

一体、今、自分は、どこに向かって、どういう努力をして、どれだけの実績をつくることができるか。じゃ、これからどうしよう──と。人に話を聞いてもらうのにこれくらいは必要じゃないかね。私が、私なりに何かを語るのは、それからのハナシだ。 ※ヤングマシン1987年1月号「ポップ吉村のゲンコツ人生相談」より

吉村秀雄氏(故人)。ヨシムラジャパン創業者。愛称”ポップ吉村”POP(ポップ)は「おやじ」の意味。吉村氏の三ない運動を言い訳にするなという発言は、交通教育を放棄している”ガッコウ”を切り捨てつつ、バイクに乗る意志を若者に問い質している。時代が変わっても、例え高校生ではなくても耳を傾けるべき内容だろう。

1987年7月号の本誌表紙を飾った当時の有力ノービスライダー達。1番左には2006年のマン島に散った故・前田淳氏の姿も。当時はレーサーレプリカブームの真っ只中。プロレーサーに憧れる全国のヤングライダー達が大きな夢を見、翻弄された時代だった。


※本記事は2018年10月13日に公開した記事を再編集したものです。 ※本記事は“ヤングマシン”が提供したものであり、文責は提供元に属します。※掲載内容は公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。※掲載されている製品等について、当サイトがその品質等を十全に保証するものではありません。よって、その購入/利用にあたっては自己責任にてお願いします。※特別な表記がないかぎり、価格情報は税込です。

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