
’80年代、“柔よく剛を制す”を標榜していたXJ(ペケジェー)など、ハンドリングのヤマハと謳われた時代があった
デビューは1980年からで、先陣を切ったのがヨーロッパ向けのXJ650。そして国内向けのXJ400とXJ650に国内事情を反映したXJ750が続いた。
このペケジェーは、日本製スポーツバイクには当然のように4気筒エンジンが搭載され、ハイメカニズムが逆に没個性の代表のように「どのメーカーも同じバイク」とまでイメージされてしまう流れにあって、『ヤマハはやっぱり違う』と言わせた違いを評価されていた。
それは「ハンドリング」。それまでエンジンの形式や気筒数、パワーや重量などのスペックで、どっちが速い?と比較されることはあっても、肝心の「乗り味」でどれが優れている?との話題にはなりにくかったのだ。
※本記事の内容はオリジナルサイト公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。 ※特別な表記がないかぎり、価格情報は税込です。
関連する記事
当時のヤマハはスーパースポーツなら2ストローク、4ストロークの大型バイクは性能より高級感が欧米の潮流だった! 英独勢が占める大型高価格帯バイクの市場は性能で勝負しない領域。ヤマハは他の日本メーカーとは[…]
“限定解除”の壁に阻まれ750ccクラスが高嶺の花だった’80年代のバイクブーム世代。当時の400ccクラスは、各メーカーが贅を尽くした魅力的なモデルが咲き誇ってい[…]
初代VMAXは、1198ccのV4エンジンを搭載する異色のバイクとして1985年に発表。0-400mなどのドラッグレースシーンを連想させるスタイリングが人気を博し、1999年まで生産された。2代目は1[…]
ヤマハワークス500の歴史――エディ・ローソンが15歳の少年だったころ、最初のYZR500、0W20がGPシーンに表れた。それから14年間。時が移り、人が変わるなかで、0W自身も絶え間なく進化してきた[…]
オフロードマシン専門誌『ゴー・ライド』連載中の「令和の世に放つ 愛と青春のオフロードマシン」より、バイクが熱かった時代にラインナップされた懐かしのオフロードマシンを、”迷車ソムリエ”ことムッシュ濱矢が[…]