モトGP’20シーズンの若き新王者、ジョアン・ミルの目に湛えられていたのは、あまりにも怜悧な光だった。たゆまず1歩ずつ進んできたスズキのあり方に、その光が重なった──。
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スズキがモトGP参戦休止を発表したのは、’11年11月のことだった。’09年をもってカワサキが撤退したのに続いて、スズキもか…。
リリースには「一時休止」「’14年の再参戦を目途として競争力のあるマシン開発を行う」と明記されてはいた。だが、状況は悲観的だった。
リーマンショックにより世界的に不況の嵐が吹き荒れる中、どの企業も経営のスリム化に躍起だった。スズキは2輪車事業そのものから手を引くのではないか、とまで噂されていたのだ。
レースは、直接的な利益を生み出す活動ではない。景気次第で真っ先に投資カットの対象になりやすい部門だ。経営状態の悪化が取り沙汰されていたスズキが再びモトGPの舞台に戻ってくる可能性は、著しく低いと思われた。
だが、リリースに偽りはなかった。スズキは新たなモトGPマシンの開発を細々と続けていたのである。’11年までのV型4気筒エンジンを並列4気筒にスイッチしたのは、”量産車開発との連携を深めるため”とされている。
スズキはV型4気筒エンジンを搭載した量産車を持っていないが、並列4気筒ならある。だからモトGPマシンも並列4気筒に変更すれば、技術的なフィードバックを行いやすくなる…。
それは紛れもない事実だっただろう。だが一方でそれは、経営陣を説得するための”方便”でもあったはずだ。少しでも効率よく技術的資産を生かしながら開発を進める、という姿勢を示したのだ。
リリースより1年遅れたものの、’15年、スズキは本当にモトGP復帰を果たした。1チーム/2台体制という最小限のパッケージだったが、世に放った約束をきっちりと守ったのである。
’20年11月、ヨーロッパGPで自身初優勝を果たし、チャンピオンシップ争いを圧倒的に有利なものにしたジョアン・ミルは、レース後のプレスカンファレンスでこんな話をした。
「もちろんプレッシャーはあります。すべてを賭けてやるべきことに集中しなければならないし。でもそれが僕たちの仕事です。プレッシャーと言っても、いいものでしかないんです。もしタイトルを獲れれば、それは僕にとってすごく素晴らしいことです。でも獲れなくたって、やっぱり素晴らしいことですよ。少しは違いがあるでしょうけど、大差ありません。
でも今、新型コロナウイルスの状況によって、家賃も払えない人もいる。食べるのに困っている人さえいます。それこそが本当のプレッシャーだと僕は思うんです。いいことなんか何もない。
だから僕は、レースのプレッシャーについてたくさん聞かれても、『こんなのはプレッシャーのうちに入りません』と答えるんです。これが僕の仕事だし、僕はすごく素晴らしいことをやらせてもらえている。そのことに感謝しています」
何度も勝っているベテランの言葉ではない。ほんの2ヶ月ほど前に23歳になったばかりの若きライダーが、夢にまで見た世界最高峰のレースでの初勝利をもぎ取りながら、自分を取り巻く状況をこれほどまでに深く理解しながら訥々と語ったのである。
冷静なだけではない。人として物事をこう見るべき、こう感じるべきという手本のようなメッセージだった。
レース運びの端々にも、ミルの冷静さとクレバーさは見て取れた。抑えるべき時は抑え、攻めるべき時は攻めるという割り切りは、ある意味では淡泊にも映った。
だが、厳しいチャンピオンシップを戦いながらも、新型コロナウイルスに苦しめられている人々に向けた彼の優しい眼差しは、彼がただクールなだけではなく、深い情を備えた男であることを証明している。
細々と、愚直に、そして慎重に開発を進めてモトGPに返り咲いた、スズキ。
年齢を超え、成熟した大人と呼ぶにふさわしい落ち着きと、華やかなレースの世界に身を置きながらオープンでフラットな心を持つミル。
生真面目を具体化したような企業とひとりの若者が、新型コロナ禍によって混沌としたシーズンを制して頂点に立ったことには、極めて尊く、極めて正しく、そして極めて重要な価値があったように思う。人としてどうあるべきかを、彼らは指し示してくれたのだ。
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