バイクの楽しみを親子&女性にも

バイクと人を結びつける手探りの試み【ホンダ高山正之のバイク一筋46年:第2回】

ホンダ広報部の高山正之氏が、2020年7月に65歳の誕生日を迎え、勇退する。二輪誌編集者から”ホンダ二輪の生き字引き”と頼りにされる高山氏は、46年に渡る在社期間を通していかに顧客やメディアと向き合ってきたのか。これを高山氏の直筆で紐解いてゆく。そして、いち社員である高山氏の取り組みから見えてきたのは、ホンダというメーカーの姿でもあった。 連載第2回はモーターレクリエーション推進本部配属時代を振り返る。


●文:高山正之(本田技研工業) ●編集:市本行平(ヤングマシン) ●協力:本田技研工業/ホンダモーターサイクルジャパン ※本内容は記事公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。※掲載されている製品等について、当サイトがその品質等を十全に保証するものではありません。よって、その購入/利用にあたっては自己責任にてお願いします。※特別な表記がないかぎり、価格情報は税込です。

モーターレクリエーション推進本部では、ロードパルの発売後に、ロードパルと船の旅というバイクとフェリーの「コンビツーリング」の普及活動を1977年から実施していました。旅行の主催は、毎日新聞社系の旅行代理店で、ホンダとしてはロードパルの貸出と、参加者の運転指導を担当していました。これまで、北海道や九州をツーリングし、1979年、ようやく私に番が回ってきました。

旅の舞台は四国です。早速、四国の下見です。人生で初めて乗った飛行機は、羽田発高知行きのYS11機でした。高知営業所からロードパルを借用して、旅行代理店の担当とコースを下見しながら、昼食場所や宿泊場所などを確認します。3日間ほどで終了して、ツーリングに備えます。

ツーリング本番には、10名ほどの女性が参加されました。行きのサンフラワーのデッキでは、パルフレイによる船上でのレッスンです。バイクに一度も乗った事がない人もいて、苦戦。高知に到着後、翌日のスタート前に、朝の特訓です。ようやく、10名の隊列により、パルフレイでの四国4泊5日の旅は無事終了しました。今から思えば、リスクが多いイベントでしたが、免許さえあれば、小さなバイクでもフェリーを使えば大きな旅を楽しめる。という魅力を伝えることができたと思います。

1976年、ソフィア・ローレンのCM「ラッタッタ」で大ブームになったロードパルの発売で、多くの女性がバイクに乗るようになった。写真は、1978年発売のパルフレイでレッグシールドやフロントバスケットが標準装備の発展型。

後方右側が高山氏。この後、’80年代には女性も牽引役となって空前のバイクブームを迎えるが、’70年代後半のロードパルやヤマハのパッソルの存在がその呼び水になっていた。加えて、このような新しい取り組みも行われていたのだ。