ついにこの時が来た、来てしまった! 2020年2月16日で41歳を迎えるバレンティーノ・ロッシ選手は2021年以降にファクトリーチームのシートを失い、代わりに加入するのは日の出の勢いのファビオ・クアルタラロ選手。気になるのはロッシ選手が引退してしまうのか、ということだが……。
9度の世界チャンピオンを獲得してきた“生けるレジェンド”バレンティーノ・ロッシ選手
現在のモトGPがWGPと呼ばれていた1996年にアプリリアでGP125ccクラスデビュー、翌年の1997年には早くもタイトルを獲得し、1998年に250ccクラスへ。ここでも2年目の1999年にタイトルを獲得すると、翌2000年には当時無類の強さを誇ったホンダに移籍し、NSR500をライド。お約束のように2年目の2001年にチャンピオンになった。
2002年からは4ストロークのモトGPが始まり(当所は2ストロークも混走)、引き続きホンダのRC211Vを駆ってタイトルを防衛、そのまま2002年も同じ体制で連覇を続ける。2004年にはヤマハへと電撃移籍し、そのままメーカーをまたいで2005年まで連覇を続け、さらに若い力が台頭してきたにもかかわらず2008年にタイトルを奪い返し、翌2009年にも防衛を果たしたのだ。
125cc、250ccで各1度、500cc~MotoGPのトップカテゴリーで7度もタイトルを獲得し、さらにモチベーションを維持し続けるためにドゥカティへの移籍、ヤマハへの電撃出戻りを果たし、現在まで「Yamaha Factory Racing MotoGP Team」のライダーとして活躍を続けてきたことは驚嘆に値するだろう。
ただ、近年は勝利から遠ざかっているのも事実で、2019年シーズンは第2戦、第3戦で2位表彰台を獲得してから、シングルフィニッシュを続けるものの表彰台には一歩及ばないでいた。
ロッシ選手の今後の動向について。まずは2020年シーズンを戦い、2021年もMotoGPライダーを継続したい意向を持っている。シーズン半ばまでの判断としているが、継続となった場合には、ヤマハからファクトリーマシンの提供とファクトリー契約(チームは別)というサポートが受けられることになっているようだ。
将来のエースを期待されたクアルタラロ選手の電撃登用
同じ2019年に、いきなり頭角を現してきたのは、ヤマハ系サテライトチーム「PETRONAS Yamaha Sepang Racing Team」のファビオ・クアルタラロ選手だ。トップカテゴリーのデビュー年であるにもかかわらず、絶対王者として君臨するホンダのマルク・マルケス選手の記録を抜いて最年少ポールポジション記録を更新。初勝利こそマルケス選手に阻まれたが、6度のポールポジションを獲得してみせた。しかも、彼が駆っていたのは最速のファクトリーマシンではないのだ。
2020年末で各ライダーの契約が切れるため、当然のように2021年以降のファクトリーチーム体制は誰もが気にするところとなり、ロッシ選手の引退か、クアルタラロ選手が他メーカーへ転籍するのか……と噂が交錯していた。これについての結論はシーズン中盤頃までに決まるだろうという見方の虚をつくように、今回(1月29日)の発表となったわけだ。マーベリック・ビニャーレス選手の契約更新(2021-2022)は前日の1月28日に伝えられており、これも随分早いなという印象を受けたものだったが、まさかの電撃発表が続いたのだった。
2021年から2年契約のマーベリック・ビニャーレス選手
マーベリック・ビニャーレス選手はクアルタラロ選手に先んじて契約更新を発表。「Yamaha Factory Racing MotoGP Team」で2021-2022年も戦うことになった。すでにヤマハでは2017年から4年間を過ごしており、2019年シーズンは2勝を挙げ211ポイントを獲得。年間ランキングは3位となっている。
各ライダーのコメント
バレンティーノ・ロッシ選手
「現在の契約市場の状況から、ヤマハからは将来について今年初めには答えを出すようにお願いされていました。昨シーズン中にも言いましたが、私としては決断を急がず、時間をかけて考えたいと思っています。ヤマハはそれを理解してくれました。技術変更があり、新しいクルーチーフを迎えましたが、現在の私の第一目標は、競争力を高め、2021シーズンもMotoGPライダーを継続することです。それには、サーキットと実際のレースでしか得られない答えが必要です。また継続となった場合、ファクトリーマシンの提供とファクトリー契約というヤマハの全面サポートに感謝します。そしてまずは、最初のテストでチームと共にベストを尽くし、シーズンスタートに向けて準備を進めます」
マーベリック・ビニャーレス選手
「今のチームを継続することができ、とてもうれしく思います。私のクルーとは今年で2年目になります。この契約によりさらに2年一緒に戦えることがとても楽しみです。一生懸命に取り組めばよい方向に向かっていくはずです。私はモチベーションを高め、2020シーズンに集中したいと思っていたので、シーズンが始まる前に、今回の発表することが非常に重要でした。将来についてあまり長い時間をかけたくありませんでしたし、家族のようなチームから離れる理由などありませんでした。ヤマハは多くのサポートをしてくれ、自分のチームを持つことができています。努力を続けて強くなり、世界チャンピオンとなって再びヤマハにNo.1の栄光をもたらすことが私たちの目的です。ベストを尽くし、全てを出し切ります。そしてチームのみんなにも誇りを感じてもらいたいです。ヤマハの私に対する信頼に感謝します。私に自信を与えてくれています。私たちは共に成長し続けます」
ファビオ・クアルタラロ選手
「ヤマハとの話し合いがまとまり、契約に至ったことをとてもうれしく思っています。簡単な道のりではありませんでしたが、私は今、これからの3年間についてはっきりとした計画を持てるようになりました。本当にうれしいです。昨年同様、懸命にがんばります。そして素晴らしいパフォーマンスの実現に向けてモチベーションを高めていて今は冬休みが非常に長く感じられます。来週のセパン・テストで新しいYZR-M1に乗ること、チーム・クルーと再会して仕事をすることを心から楽しみにしています。2019年にMotoGP参戦のチャンスを与えてくれたヤマハとPETRONAS Yamaha Sepang Racing Teamに感謝の気持ちを伝えたいと思います。彼らが胸を張れるように、今年もまたベストを尽くします」
リン・ジャービス談(ヤマハ・モーター・レーシング・マネージング・ダイレクター)
ロッシ選手について。 「2020シーズンの競争力を評価してから、2021年について決定するというロッシ選手の決断を、私たちヤマハは全面的に尊重し、同意します。ロッシ選手の才能、2020シーズンの競争力には十分期待できますが、ヤマハとしても今後の方針を立てる必要があります。昨今、MotoGPには6メーカーが参戦しており、若く速いライダーが求められています。そのため、ライダーとの契約は以前よりも早まっているのが実情です。2021年のファクトリーチームにロッシ選手の名前がない状態でシーズンをスタートするのは違和感がありますが、ヤマハとしては彼の決断を待ちたいと思います。ロッシ選手がレースを続ける場合は、ファクトリーマシンであるYZR-M1の提供と技術サポートを行い、引退を決めた場合は、ブランドアンバサダーとしてYamaha VR46 Master Campの若手ライダー育成の活動等、ヤマハとの関係を継続する予定です。いずれにせよ、すべては未定です。2020シーズンはもうすぐはじまります。今、我々がすべきことはロッシ選手のサポートを全力で続けることです」
クアルタラロ選手について。「クアルタラロ選手が2021年と2022年にYamaha Factory Racing MotoGP Teamに加わることになり、非常にうれしく思っています。MotoGPデビュー・シーズンの成績はまさにセンセーショナルなものでした。ポールポジション6回、表彰台7回という数字が彼の素晴らしさと並外れたライディング・スキルを如実に表しています。PETRONAS Yamaha Sepang Racing Teamとの2年間の契約を終えたあと、Yamaha Factory Racing MotoGP Teamに迎えることは、ごく当然のことと考えます。弱冠20歳ながらクアルタラロ選手はすでに、マシン上でも降りたあとでも成熟の域にあります。私たちは2021年に彼を迎えることを楽しみにしています。クアルタラロ選手とビニャーレス選手はYamaha Factory Racing MotoGP Teamの全員に刺激を与え、YZR-M1の開発を支えてくれるでしょう。私たちはMotoGPでの勝利を目指すために、できることをすべて、くまなく探し出して実行していきます」
ビニャーレス選手について。 「ビニャーレス選手の特別な才能に惹かれ、2017年にファクトリーチームに加入してもらいました。過去3年間では、6回の優勝、19回の表彰台を獲得しているように、ビニャーレス選手は気力、体力に恵まれ、常に自身とYZR-M1の最大限のパフォーマンスを引き出してくれました。YZR-M1はレースごとに改善しているので、ヤマハでの輝かしい未来は確実です。今回のYamaha Factory Racing MotoGP Teamとの2年の契約更新という彼の決意は、互いの気持ちを高め、MotoGPチャンピオン獲得に向けてともに挑戦するという思いを示しています」
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