北海道と九州、ツーリングに行きたくて仕方がない!

世界GP王者・原田哲也のバイクトーク Vol.17 「本当はバイクが好きだった」

  • 2019/9/15

1993年、デビューイヤーにいきなり世界GP250チャンピオンを獲得した原田哲也さん。虎視眈々とチャンスを狙い、ここぞという時に勝負を仕掛ける鋭い走りから「クールデビル」と呼ばれ、たびたび上位争いを繰り広げた。’02年に現役を引退し、今はツーリングやオフロードラン、ホビーレースなど幅広くバイクを楽しんでいる。そんな原田さんのWEBヤングマシン連載は、バイクやレースに関するあれこれを大いに語るWEBコラム。第17回目は、父母の故郷である北海道と鹿児島に思いを馳せます。

TEXT:Go TAKAHASHI

MICHELIN

幼少期を過ごした北海道への思い入れと憧れ

最近、北海道ツーリングをしたくて仕方ありません。きっかけはYoutube。何かを観ていた時「あなたへのおすすめ」に北海道ツーリングが表示され、クリックしたのが運の尽き。フェリーでのバイク旅なんて、最高に面白そうです。

何年か前には親子タンデムで、今回は息子さんが免許を取ってそれぞれ別のバイクで北海道ツーリング、なんて動画もあって、感動しちゃいました。

僕にとっての伏線は、セローを買ったことかな。SP忠男の鈴木忠男社長と林道ツーリングに行ったりして、「このバイク、どこにでも分け入れるぞ!」と可能性が広がったんです。それにバイクで雨の中を走るのも好きじゃなかったけど(汚れるから)、セローは汚れてナンボ。セローとの出会いで考え方がだいぶ変わったし、オフロードもたくさんの北海道にはピッタリですよね。

アップダウンしながらどこまでも続く直線路を走ってみたいし、星空を眺めながらのキャンプも気分良さそう。「いつ行こうかな、来年かな、何月頃がいいんだろう」といろいろ考えている今が一番楽しいのかもしれません。

実は北海道は、僕の母の実家なんです。僕の両親が仕事で忙しかった幼稚園の年長から小2までの間、その実家に預けられてました。きょうだい3人一緒とはいえ、親から離れるのはつらかったですね。冬は寒かったし(笑)。

母の実家は、函館からクルマで20~30分ほど離れた海沿いの小さな町にありました。おじいちゃんは漁師。僕たちが「お腹空いた~」と言うと、おばあちゃんは「海行ってウニ食っといで」なんてね。自分たちでウニを獲って、海水をサッと通して食べるのは旨かったなぁ。夜は星がめちゃくちゃキレイで、遠くに本州・大間の町明かりが見えたものです。

そんなこともあって、北海道には思い入れもあります。3年ほど住んでいたとは言え函館と札幌ぐらいしか行かなかったので、あちこち見てみたいんですよね。仕事では何度か行ったけど、プライベートでツーリングしてみたい。稚内、根室、網走、「北の国から」のロケ地も見なくちゃ。北海道は何度かツーリングして、いずれ全部回りたいなあ。

現役時代の影の努力は、いま報われている

僕はもう20年モナコに住んでいます。大人になってからはほとんどモナコなので、実は日本のことをよく知らないという弱点があります。日本に住んでいた全日本時代も、レースの合間はテスト、テストでツーリングに行くどころじゃありませんでした。「やってない」とは言ってましたが、トレーニングもしてましたしね(笑)。

プロとしてお金をもらうようになってからは、ほとんど遊ぶことはなかった。レースで結果を出すことがプロの責任だと思っていたし、ケガなんかもってのほか。今になって振り返れば気持ちの余裕がなかったのかな、と思いますが、当時は必死だったし、全力でした。

レースも、もちろんバイクも根本的には好きだったけど、「好きだ」なんて言っていられなかった。レースをしてて楽しいなんて思えるのは表彰台のてっぺんに立った一瞬だけで、表彰台を降りたらもう次のレースのことを考えてました。

ちなみに、レースを心底楽しんでるように見えるバレンティーノ・ロッシだって、裏ではすごい努力をしてるんですよ。現役時代、彼は僕のチームメイトで、四六時中一緒にいたからよく分かります。何なら僕が彼の運転手をしたこともあるし、ヨーロッパ以外のレースでは着替えも一緒だった(笑)。

テレビの前で楽しげに振る舞えるのは、ロッシの才能だと思います。でも影での努力は本当にすごかった。苦しんでもいたし、悩んでもいました。世界で戦うって、そういうことなんです。

僕も生活のすべてをレースに捧げてたから、現役時代は本当につらかった。ただ、それがプロとして当たり前だと思ってました。影の努力なんていう言い訳にもならないことはわざわざ人に言う必要もなかったし、とにかく結果、結果の日々で、人生を楽しむ余裕はありませんでした。

そういう時を過ごしたからこそ、今、余裕を持ってバイクと付き合えるのが楽しくて仕方ありません。最近はバイクに関わる仕事もたくさんやらせてもらっていて、幸せを実感しています。モナコの友人たちには、「テツヤ、最近ホントに楽しそうにしてるね」と言われて、素直にうれしいんです。

現役時代はつらいことばかりだったけど、レースをやってて、そしてチャンピオンを獲ってよかったとつくづく思います。チャンピオンになったからこそ、当時の日本人ライダーとしては珍しくヨーロッパのメーカーと契約できて、海外のファンにも受け入れてもらえて、ヨーロッパベースの暮らしもできるようになった。モータースポーツの本場で多くの友人ができて、たくさんの刺激を受けています。

そういう自分の経験すべてを日本の皆さんにお伝えできるのが、今の仕事です。本当は好きだったバイクに好きなように乗って、自分の体験談をお伝えしたり、ライディングテクニックについてお話するだけで、バイク乗りの皆さんに喜んでもらえるんですよ? 本当に幸せなことですよね。結果がすべてのレースとは違って、ただただ楽しい。

現役時代は夢にも思わなかった北海道ツーリングも、今なら心ゆくまで楽しめそうです。あ、そういえば父の実家は鹿児島なんですよね。この間、鈴鹿8耐で鹿児島出身の柳川明くんに会って、「鹿児島行きたいんだよね〜」「ぜひ来てくださいよ」なんて会話をしたんです。

だから九州も行かなくちゃ。四国を経由してフェリーで渡るのも楽しそうだな。Youtubeでツーリング動画を眺め、Amazonでキャンプ道具を物色する日々です……。

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原田哲也

原田哲也

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1993年ロードレース世界選手権(WGP)250の世界チャンピオン。1992年に全日本で同クラスのチャンピオンを獲得し、翌年に初挑戦のWGP250で戴冠した。現役当時のニックネームは「クールデビル」。'02年に現役を引退し、現在はツーリングやオフロードラン、ホビーレースなど幅広くバイクを楽しんでいる。