グランプリ全クラス制覇の一翼を担った

【ライバルはF1】1966年に活躍したホンダ 2気筒50ccワークスレーサー・RC116とは

ルイジ・タベリが駆るRC116(1966年)

「スーパーカブ系エンジンで世界最高速記録にチャレンジ!」の記事で引き合いに出された53年前のホンダ製ワークスマシン、RC116とはどのように生まれたマシンだったのか――。1966年、ホンダの2輪GPチームはグランプリの全クラスを制覇するという目標を立てた。それまでの50~350ccに加え、500ccにも新たに挑戦すると同時にタイトルを勝ち取る……。空前の目標を立てたきっかけは、同じホンダのF1が台頭してきたことだった。

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5つのクラス、すべてでチャンピオンを獲る!

1959年に初めてマン島TT・125ccライトウェイトクラスに参戦し、世界選手権デビューと果たしたホンダは、翌1960年には125ccクラスに加えて250ccクラスでもマン島TTに参戦。同時に世界選手権ロードレース(GP)シリーズにフル参戦を開始する。勝利はまだ遠かったが、いくつかの表彰台を獲得した。

1961年、125ccのRC143は空冷4ストローク並列2気筒 DOHC4バルブのエンジンをRC142の17.4ps/13000rpmから23ps/14000rpmにまでパワーアップし、トム・フィリスのライディングにより開幕戦で見事優勝。続く西ドイツGPでは、RC162(空冷250cc4気筒DOHC4バルブ・45ps以上/14000rpm、最高速度220km/h以上)を駆る高橋国光が日本人として初めてGPの優勝を飾る。最終的にこの年は、125cc&250ccともにライダーズタイトルとメーカータイトルを圧勝といっていい内容で獲得している。

時は進み、1965年。1962年に新設された50ccクラスを含め、500ccを除く各クラスでタイトル争いを続けてきたホンダは、1965年10月24日に行われた日本GPでシム・レッドマンが350ccクラスのタイトルを獲得した。そして同じ日に、ホンダのF1がメキシコGPで初優勝を果たしたのだ。

F1の勝利により、ホンダはメーカーとして開発の比重を4輪に置く気配が見え始める。このことが2輪GPチームに火を点け、1966年は500ccクラスにも挑戦するとともにGP全クラスを制覇するという目標を立てさせるに至った。いわばF1が社内のライバルとなったことによって、1966年の伝説が生まれることになったわけだ。

1966年、ホンダワークスマシンの超絶ラインナップ

「精密機械」と呼ばれ、栄誉をほしいままにしてきたホンダの多気筒超高回転エンジン。それらを搭載する1966年のワークスマシン群は、1959年からはじまったGP挑戦の集大成ともいえる超絶なラインナップだった。

Honda RC116 (1966)
■50cc:ショートストローク化を推進した空冷2気筒を搭載するRC116(14ps/21500rpm)
■125cc:50cc2気筒と同じく気筒当たり25ccとした並列5気筒エンジンを搭載するRC149は34ps/20500rpmを発揮
■250cc:並列6気筒のRC165、第10戦以降は改良型となるRC166(60ps以上/18000rpm)を投入(写真は1967年型RC166)。
■350cc:こちらは4気筒のRC173(70ps/14000rpm)。走らせているのはマイク・ヘイルウッドだ。
■500cc:4気筒489.94ccから80ps以上を発揮したRC181。

結果、50ccは5戦3勝、125ccは9戦5勝、250ccは10戦10勝。350ccは7戦に出場して6勝。500ccは9戦に出場して5勝を挙げ、5クラスすべてでメーカータイトルを獲得。125/250/350ccではライダーズタイトルも獲得した。翌1967年は250/350/500ccの3クラスに参戦を縮小、250/350ccクラスでライダー&メーカータイトルを獲得し、これを最後にホンダはGPからの一時撤退を発表している。理由は、ひと通りの成果を達成したことと、メーカーとして4輪の開発に注力していく、というものだった。

RC116:自然吸気の4ストローク50ccでは今でも世界最高?

ホンダは1961年にグランプリの50ccクラスに4ストローク単気筒レーサーのRC111を投入。翌1962年には早くもこれを一新し、世界初の4ストローク2気筒50ccレーサーRC112をデビューさせる。その後は改良を重ねたRC113、RC114を走らせたが、1965年にエンジンを再び一新し、超高回転型に。これをRC115に搭載する。それまで33×29mmだったボア×ストロークは34×27.4mmの超ショートストロークとなり、最高出力13ps/20000rpm、最高速度150km/h以上を記録。1965年シーズンは、ラルフ・ブライアンズとルイジ・タベリの2選手がこのマシンで7戦中5勝を挙げ、ブライアンズはチャンピオンを獲得。ホンダに初の50ccタイトル(ライダー/メーカーとも)をもたらした。その後1966年に投入された最終型50ccレーサーのRC116は、最高出力14ps/21500rpm、最高速度175km/h以上を誇り、車重も50kgと2ストロークのライバル勢よりも軽かったと言われる。トランスミッションは9段、今ではバイク用で見ることもない“リムブレーキ”を採用するなど、現代のバイクとはかなり異なる仕様となっていた。ブライアンズとタベリの2選手は1966年にも6戦中3勝を挙げ、メーカータイトルを守っている。

こちらは1963年のRC113。精密機械と呼ばれた2気筒エンジンが見られる。これがのちにRC116まで発展していった。
せっかくなのでRC166(1967年)のストリップ写真も。空冷6気筒DOHC4バルブに組み合わせるマフラーは6本出しメガホンタイプで、凄まじいとしかいいようのない超高回転の咆哮を発する。

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