YAMAHA YZR1000(OW34) 1977 Tokyo Motor Show model

「お蔵入り?!」「のちのVMAXが遺伝子を継承」ホンダに先駆けて披露されたヤマハ幻のV4レーサー YZR1000

ヤマハ|YZR1000

●記事提供: ライドハイ編集部

ホンダのVFやNRの影もカタチもない1977年の東京モーターショーにYZR1000デビュー!

YAMAHA YZR1000(OW34) 1977 Tokyo Motor Show model

YAMAHA YZR1000(OW34) 1977 Tokyo Motor Show model

1977年の第22回東京モーターショーのヤマハ・ブースに、白に赤ストライプのワークスマシンカラーの謎のマシンがリリースされていた。

車名はYZR1000。

1000ccV型4気筒の耐久レース用プロトタイプ・マシンだ。

日本メーカーによる初のV型4気筒マシン……しかし驚いたことに、この衝撃的な出来事に世界の反応は鈍かった。

あまりに唐突で、単なる夢の未来バイク、モックアップ的なお飾りにしか見えていなかったのかも知れない。

YAMAHA YZR1000(OW34) 1977 Tokyo Motor Show model

YAMAHA YZR1000(OW34) 1977 Tokyo Motor Show model

V型4気筒といえば、1980年代からホンダ逆襲の尖兵として750cc、400cc、1,000ccクラスへ一気に展開をはかったホンダのまさに懐刀。

NR500にはじまり、先進性の塊り、新しさのイメージで押しまくったエンジン型式だ。

しかし1977年は、ホンダの世界GP復帰宣言もまだでV型4気筒のエンジン型式にまったく馴染みがなかったともいえる。

YAMAHA YZR1000(OW34) 1977 Tokyo Motor Show model

しかしヤマハでは、001というコードネームのもと、このプロジェクトでまったく新しい90度V型4気筒エンジンを誕生させていた。

さらに最終段階では試作エンジンを載せた走行テスト用のプロトモデルが製作されたが、耐久レースはプロトタイプ出場が禁止され市販車ベースのみが走れるレギュレーションへ変更されてしまった。

このため遂に実戦投入されることなく、モーターショー展示ブースでその存在をアピールしたのがこのYZR1000、ワークスマシンに与えられるOWの型式名ではOW34だった。

最高出力135PS、275km/hとショーではYZR500を遥かに上回るスペックが表記されていた。

YAMAHA YZR500(OW35) 1977 WGP machine

YAMAHA YZR500(OW35) 1977 WGP machine

まさに同じ1977年には、2スト500cc並列4気筒のYZR500が破竹の勢いで活躍。カウルなど全体のフォルムを継承していたが、燃料タンクのクイック・チャージ給油口、エンジン位置を少しでも前進させフロント荷重を稼ごうと、両サイドへ振り分けられたラジエーター用冷却エアダクト、そして24時間を闘う象徴として背の高い大型スクリーンに大きな違いがあった。

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