1993年、デビューイヤーにいきなり世界GP250チャンピオンを獲得した原田哲也さん。虎視眈々とチャンスを狙い、ここぞという時に勝負を仕掛ける鋭い走りから「クールデビル」と呼ばれ、たびたび上位争いを繰り広げた。’02年に現役を引退し、今はツーリングやオフロードラン、ホビーレースなど幅広くバイクを楽しんでいる。そんな原田さんのWEBヤングマシン連載は、バイクやレースに関するあれこれを大いに語るWEBコラム。第2回は、マシントラブルの多かった’97~’98年シーズンの真相について。
TEXT:Go TAKAHASHI
「どうしてオレにばっかり……」とは思わなかった
前回、’98年最終戦で起きたロリス・カピロッシとの出来事について書きましたが、書いてるうちに思い出しました。そもそも’97~’98年はマシンが非常によく壊れたシーズンだったことを。
レースで「たられば」を言っても仕方ないけど、ランキング3位だった両シーズン、マシンが壊れなければどっちも僕がチャンピオンを獲っていたはずです。まさに「たられば」ですが(笑)。
シーズン中に2、3回はエンジンの焼き付きが起きたし、プラグが折れるなんてこともよくありました。キャブレターから石を吸い込んでエンジンが壊れたり、’98年のオーストラリアGPはエンジン焼き付きによる転倒で足を折ったりと、トラブルだらけだったんです。
「どうしてオレにばっかりトラブルが……」とは思いませんでした。理由が割とハッキリしてたから。当時は、僕のマシンにまず最新パーツが投入されることが多かったから、なんですよね。
アプリリアでは、ジジ・ダッリーリャと仕事をしてました。今はモトGPのドゥカティ・チームでゼネラルマネージャーを務めてる、あのジジです。彼はとにかくニューパーツ採用が早い! 新しいアイデアをすぐに形にして、あっという間に実戦投入する人……というのは、最近のモトGPのドゥカティを見ていても皆さんよく分かると思います。アプリリアでもジジさんは積極的に新しいパーツを実戦投入してました。とりあえずパワーが出るのはいいんだけど、開発期間があまりに短いこともあって信頼性に難があり、トラブルが起きやすかったんです。
僕が「最新パーツを付けろ!」と要求してたわけじゃありません。’98年はロリスとバレンティーノ(ロッシ)がチームメイトでしたが、当時のふたりにはまだニューパーツの評価ができなかったから、仕方なかった(笑)。
こんなことがありました。’97年の話なんですが、イタリア・ムジェロで僕が新パーツを組み込んだエンジンをテストしたら、最高速が5km/hぐらい上がったんです。すかさずロリスが「それいいじゃないか! オレにも使わせろ」と使ってみたところ、まさかの3km/hダウン……(笑)。エンジンは同じ仕様でコレですからね。走らせ方と伏せ方によって、最高速に大きな差が出るんです。
「伏せ」に関しては、とにかくベタ伏せしてできるだけ体をコンパクトにするってことしかありませんが、「走らせ方」はいろんな要素があってなかなか難しい問題です。最高速に効いてくるのは、主にコーナーの立ち上がり方とシフトアップのタイミングでしょうか。
僕のコーナーの立ち上がり方は、「クルッと回ってバンと起こす」。早寝早起きというヤツですね。できるだけ旋回時間を短くして、早くマシンを起こして加速態勢を取る、という走り方です。よく「大排気量乗り」と言われるスタイルですが、僕は125ccに乗っていた頃からそうやって走っていました。
マックス・ビアッジは僕と真逆でした。ベタベタに寝かせて旋回時間も長い。エンジン回転数を落とさずにコーナリングスピードでタイムを稼ぐ、いわゆる「小排気量乗り」です。今のモトGPだと、ホルヘ・ロレンソぐらいでしょうか、こういう走りをするのは。
僕がなぜ小排気量マシンでも「大排気量乗り」をしていたのかは、正直分かりません(笑)。ただ「そういう乗り方をしたかった」としか……。僕にとってのレースとは、決勝で勝つことが目的です。そのために僕が理想とするライディングスタイルが「クルッと回ってバンと起こす」だったんです。理想というものがカッチリ決まっていたので、そういう走りができるセッティングが決まった時はうまく走れる。でも、決まらないとうまく行かない。そういう弱点がありました。日本人ライダーは割とそういう傾向にありますね。
逆に、外国人ライダーはセッティングが決まっていなくても何だかんだとうまく走らせてしまう。この差は、日本人が育つ環境にあるのではないか。そしてそれは、僕が「クルッと回ってバンと起こす」走りを理想としていた理由にも関係があるのではないかと……。これ、もうちょっと詳しくお話したいので、次回にまた(笑)。
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