TSR-CHRONICLE-1988 – 1992①【鈴鹿4耐初優勝!CBR400RRデビューウイン】

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TSR(TECHNICAL SPORTS RACING)の歴史を紐解き、その時代時代のエピソードを紹介していく「TSR Chronicle」。TSRがレースに向き合ってきた歴史、そのパッションを、DNAのようにつながるその階段を上り下りしてみませんか?

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激戦の時代の鈴鹿4耐でデビューウィンを飾り、“CBR使い”の歴史がスタート!

1978年に初開催された鈴鹿8耐。当時のテクニカルスポーツ(現TSR)が注力していたのが、その2年後の1980年から始まった鈴鹿4時間耐久オートバイレース(当時)だった。

当時の資料を紐解くと、1986年大会には、“63台の決勝出走台数に対して約10倍のエントリーとなる589台を集めた”と書いてある。とにかく、当時はこのレースに600台前後のエントリーがあった時代。このため、決勝(鈴鹿8耐決勝前日の土曜日)前週に予選が行われ、各カテゴリー(TT-F3・SP400・SP250)の各グループ(全12グループ)が各20分の公式予選と最後に2時間のコンソレーション(敗者復活レース)まで開催するという凄まじいスケジュールだった。土日が明けて鈴鹿8耐のウィークに入っても音楽祭イベントやクラシックレースイベントなどが毎日のように開催されており、文字通り耐久ウィークだった。

当時の雑誌(※太陽出版のバイクコネクション別冊Sparkling SUZUKA’88)や1988年鈴鹿8耐公式プログラム。“まだまだこれから”感も漂っていたTSR評

1988年、CBR400RRがデビュー・ウィンを達成!

1988年、“RR”を冠したCBR400RRが登場し、テクニカルスポーツの手により、鈴鹿4耐でデビュー・ウィンを達成することになる。

当時のエントリーネームは「ゼネラルMACH G100テクニカル」。その後世界的にもおそらく極めて珍しい、30有余年を数えて今に至る、F.C.C.の名は、ボディの一部に貼ってあるだけ。“株式会社エフ・シー・シー”との不動のパートナーシップの歴史、そして“CBR is TSR”を標榜する、いわゆるCBR使いとしてのTSRの耐久レースの歴史はまさにここから始まったのだった。

(TSR-CHRONICLE-1988 – 1992②に続く)

96周を走破したコメントは「嬉しいしかない」というものだった


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