世に出ることなく開発途中で消えて行ってしまったマシンは数あれど、それが表に出てくることは滅多にない。ここではそんな幻の名車を取り上げてみたい。今回はホンダの水平対抗6気筒マシンを紹介しよう。
●文:ヤングマシン編集部
GLの元となった水平6気筒試作車
CB750フォアの発売後、モーターサイクルキングとは何かを探るために試作された1台。ロータリーエンジンのような滑らかさを求めて水平6気筒としたが、ミッションを後ろにつけたため車体大きくなりすぎたという。しかし、その経験は4気筒のGL1000や6気筒のGL1500の設計に生かされている。
※ヤングマシン2000年12月号より
上記はこのモデルを記事にした時の文章。これ以上は、ホンダがアメリカで発行したゴールドウイング20周年記念の冊子に詳しい。この水冷水平対抗6気筒エンジンが搭載されたモデルは、「The king of kings(王の中の王)」、またはコードネーム「M1」と呼ばれ、世界一のバイクメーカーとなったホンダが真のフラッグシップモデルを模索する中で製作された試作車となる。
その後、1975年に発売された水平対抗4気筒999㏄のゴールドウイングGL1000と直接的には関係はなく、GL1000の開発計画が立ち上がった1972年暮れには、既にM1は存在していたと思われる。排気量は1470㏄で、開発をエンジンに注力するためミッションやシャフトドライブを含めたリヤまわりはBMWから、フロントフォークやディスクブレーキはCB750フォアのものを流用している(下写真)。
BMWのパーツは1969年に発売されたR75/5に似ており、同じく’69年に発売されたCB750フォアの部品も使っていることから、早くても1969年以降、現実的には1970年代初めに実施されたプロジェクトと推測できるだろう。
本田宗一郎氏もM1に試乗した
ロータリーエンジンのような滑らかさを求めたM1はGL1000の試作品で、ホンダが6気筒エンジンに慎重になり、後のGLには4気筒エンジンを採用したというのはよくある誤解、というのがホンダの説明だ。 M1はあくまでも試作車として製作された車両で「我々はこれを造ることができる」という内部向けのアピールのための開発だった。また、究極を求めたM1は、振動といった従来のエンジン型式のバイクにある弱点の多くは克服可能で、大きな飛躍が可能だということを示したのだ。
そしてM1には、本田宗一郎氏が試乗したという逸話もある。夜遅く、予告なく研究所に現れた本田氏は試乗を望み、M1に跨るとエンジンを始動し闇夜に消えていったという。エンジニアたちの心配もよそに無事に帰還し、マシンを止めた本田氏は「非常に良い!」と言って帰って行ったという。
※本稿は2018年9月25日公開記事を再編集したものです。 ※本記事は“ヤングマシン”が提供したものであり、文責は提供元に属します。※掲載内容は公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。※掲載されている製品等について、当サイトがその品質等を十全に保証するものではありません。よって、その購入/利用にあたっては自己責任にてお願いします。※特別な表記がないかぎり、価格情報は税込です。
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