暗闇に遠くから幾多の光芒が射す。あるものは一際強い光を放って過ぎ去り、あるものは留まり今も輝き続ける。――過去半世紀に及ぶ二輪史において、数々の革新的な技術と機構が生み出された。定着せず消えていった技術もあれば、以降の時代を一変させ、現代にまで残る技術もある。しかし、その全てが、エンジニアのひらめきと情熱と努力の結晶であることに疑いはない。二輪車の「初」を切り拓き、偉大なる足跡を残した車両を年代順に紐解いていく。
※本稿で取り挙げる「初」は、“公道走行可能な量産二輪市販車”としての「初」を意味します。また、「初」の定義には諸説ある場合があります。
鈴鹿8耐初優勝「最後発から一挙に宿敵を凌駕」SUZUKI GS1000[1978]
1976年末、4ストローク最後発のスズキが巻き返しを計るGS750を投入。さらに1978年、「Z1越え」を目指した決定版、GS1000を市販化した。空冷直4は、750からボア×ストロークともに拡大するとともに、徹底的な軽量化によりエンジン単体で4.5kg減。全体では11kg増に留め、ナナハン並みの車重を実現する。フレームもライバルより高剛性で、豪華なエアサスも与えた。優秀な素性を活かし、1978年の第1回鈴鹿8耐で見事優勝に輝いた。
ビキニカウルの“クーリーレプリカ”
1979~1980年、AMAスーパーバイクレースでヨシムラチューンのGS1000を駆り、2年続で王者に輝いたウエス・クーリー車のレプリカ仕様市販車。ワークスレーサーと同様、ハンドルマウントのビキニカウルと青×白カラーが施された。ベースとなるSTDは1979年型でキャブレターを変更し、馬力を3ps高めている。
世界初フルカウル「驚嘆、スポーツツアラーの元祖」BMW R100RS[1976]
BMWの最速旗艦として1976年にデビューしたR100RSは、量産車初のフルカウルに身を包み、センセーションを巻き起こした。大型のカウルは風洞実験を繰り返して設計。200km/h巡航でもライダーを風雨からガードする革新的な装備だった。まさにスポーツツアラーの祖と言える存在である。
国産初オートマスポーツ「現代のDCTに通じる意欲作」HONDA EARA[1977]
海外では1950年代から一部のバイクにオートマを採用していた。国産車ではホンダのEARA(エアラ)が初。CB750フォア-Kをベースに、シビックなどで実績のあるスターレンジ式の変速機=ホンダマチックを融合した。ホンダは当時からオートマに熱心で、その情熱は現代のDCTにも現れている。
国産初シングルスポーツ「今なお健在の超ロングセラー」YAMAHASR400/500[1978]
現在も走り続ける「単車遺産」と言うべき存在のSR。その初代は1978年、国産初のオンロード向け大型シングルとしてデビューした。500は、オフ車XT500の空冷ユニットベースに吸気バルブや冷却フィンを拡大。これを高剛性の専用フレームに搭載した。400はストロークダウンした日本向け仕様となる。
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