世界初&国産初のエポック車を一挙掲載 #03

「量産ロータリー&直4 DOHCほか」編~時代を切り拓いた革新のマシンたち~[1965-1984]

暗闇に遠くから幾多の光芒が射す。あるものは一際強い光を放って過ぎ去り、あるものは留まり今も輝き続ける。――過去半世紀に及ぶ二輪史において、数々の革新的な技術と機構が生み出された。定着せず消えていった技術もあれば、以降の時代を一変させ、現代にまで残る技術もある。しかし、その全てが、エンジニアのひらめきと情熱と努力の結晶であることに疑いはない。二輪車の「初」を切り拓き、偉大なる足跡を残した車両を年代順に紐解いていく。

※本稿で取り挙げる「初」は、“公道走行可能な量産二輪市販車”としての「初」を意味します。また、「初」の定義には諸説ある場合があります。

世界初 直4&DOHC「世界最良を完遂した名機」KAWASAKI 900 SUPER FOUR(Z1)[1972]

1968年から水面下で750ccの直4 DOHCを開発していたカワサキにとって、ホンダCB750フォアの登場は寝耳に水の出来事だった。「ホンダを完全に打ち負かすには、さらに完璧を期すべし」「世界最良」に開発方針を転換。1000cc超への展開も考慮して、903ccの排気量を選択する。発売は予定より遅れたが、1972年秋にZ1=900スーパーフォアとして欧米でリリースした。

直4で初となるDOHCを投入したほか、耐久性と整備性も考慮したニードルベアリング支持の組み立て式クランクを採用。ゼロヨン12秒フラット、最高速207.4km/hの高性能でCBを凌駕し、チューニング素材として各地のレースでも猛威を奮った。世界で爆発的な人気を呼び、CBが地盤を固めた日本車の優位性をここに決定づけたのである。また、外観も後世に大きな影響を与えた。ティアドロップ型燃料タンクと砲弾型メーター、反り返ったテールカウルによる流麗なデザインは、規範とすべきベンチマークとなった。

KAWASAKI 900 SUPER FOUR Z1 1972
KAWASAKI 900 SUPER FOUR(Z1)[1972]■車重230kg(乾) 空冷4ストローク並列4気筒 DOHC2バルブ 903cc 82ps/8500rpm 7.5kg-m/7000rpm F=3.25-19 R=4.00-18■輸出車 ※諸元は北米仕様
KAWASAKI 900 SUPER FOUR Z1 1972
DOHCは構造がシンプルなバルブ直打式。全幅を抑えるため、ボア×ストロークは66×66mmのスクエアに設定した。
KAWASAKI 900 SUPER FOUR Z1 1972
クランクシャフトには贅沢にもクロモリ材を用いた。
KAWASAKI 900 SUPER FOUR Z1 1972
定評あるノートンのフェザーベッドフレームを踏襲しつつ、Z1はステアリングヘッド中央から補強を追加。軸距はCBより35mm長く、キャスターは1度立った26度。
KAWASAKI 900 SUPER FOUR Z1 1972
Z1の速度計は欧州仕様がキロ表示で、240km/hスケール。北米仕様は160mph(約257km/h)のマイル表示となる。
KAWASAKI 900 SUPER FOUR Z1 1972
1次減速はギヤで、クランクウェブの平歯車からクラッチハウジング外周へ出力を伝達。チェーン式のWやCBより高効率で静粛性も優秀だ。
KAWASAKI 750RS Z2 1973
【KAWASAKI 750RS(Z2)[1973]】国内の排気量自主規制により746cc版の750RS=Z2が用意された。キャブは専用で、69psを発生。国内最速マシンに君臨した。
KAWASAKI Z650 1976
【KAWASAKI Z650[1976]】軽量コンパクトな652CC空冷直4を積む第2世代のZ。ザッパーの愛称で親しまれ、心臓は1990年代のゼファー750にも転用された。

国産初 量産ロータリー「500ccでナナハン並みのパワーを達成」SUZUKI RE-5[1974]

2スト専業だったスズキが、夢のエンジンと言われたロータリーの基本特許をドイツから導入。約3年の開発期間を経て、国内初&唯一のロータリー搭載マシンを発売した。ロータリーは、コンパクト&ハイパワー、低振動が特徴。RE-5は497ccながら、通常のレシプロ750ccに匹敵する62psをマークした。1973年に独ハーキュレスが発売したW2000が世界初のロータリーバイクとなるが、信頼性では断然RE-5に軍配が上がる。一方、馬力や軽さは旗艦GT750に及ばず、販売面では苦戦した。

SUZUKI RE-5 1974
SUZUKI RE-5[1974]■車重230kg(乾) 水油冷ロータリー・1ローター 497cc 62ps/6500rpm 7.6kg-m/3500rpm F=3.25-19 R=4.00-18■輸出車
SUZUKI RE-5 1974
おむすび型のローターがまゆ状のハウジング内を回転するロータリー。ハウジングは3分割式で、内面には独自のCEMメッキなどを施し、異常摩耗に対応。
SUZUKI RE-5 1974
エンジン本体には熱対策のため、水冷+油冷機構を導入した。
SUZUKI RE-5 1974
マフラーを二重構造とし、前方から走行風を導入。ロータリーで問題となる高熱な排気を強制冷却するなど対策は万全だった。
SUZUKI RE-5 1974
初期型は、有名な茶筒式メーターを採用。キーONでバネ仕掛けのカバーが開く仕組みだ。デザインはジウジアーロが担当。

レースでも「日本人初」が続々

1959年、日本メーカーとして初めてホンダがロードレース世界選手権に参戦開始。スズキは1960年、ヤマハは1961年からエントリーを始めた。1960年の第4戦・西ドイツGP250ccで、ホンダの田中健二郎が3位となり、日本人初の表彰台を獲得。翌1961年には高橋国光が250ccで日本人初優勝を成し遂げた。

1907年開始のマン島TTでは、1963年にスズキの伊藤光夫が日本人初優勝。世界GPの日本人チャンピオンはさらに後年で、1977年に片山敬済が達成した。

WGP初勝利[1961]

現在はチーム国光監督として知られる高橋国光。1960年からWGPに出場し、1961年に日本人初優勝(当時23歳)。ホンダとしても250cc初優勝だった。翌年は125で初戦から2連勝するも3戦目で大怪我。引退の原因となる。
HONDA RC162[1961]6速ミッションの直4 DOHC4バルブにより1万4000回転で45ps超を叩き出した。出場した10戦で全勝、初の世界制覇車に。

マン島TT初勝利[1963]

伝統の公道レース=マン島TTは、当時WGPに組み込まれていた。1959年からスズキの社員ライダーとして活躍した伊藤光夫が、1963年に50ccクラスで日本人初勝利。2019年現在に至るまで日本人唯一の優勝者となる。

WGP初 年間チャンピオン[1977]

1974年から、兵庫県出身の片山敬済(たかずみ)がWGP250に参戦。プライベーター参戦などを経て、1977 年にヤマハNVと契約した。3気筒と2気筒のTZ350をサーキットによって使い分け、WGP350ccクラスの年間タイトルを見事獲得した。
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