暗闇に遠くから幾多の光芒が射す。あるものは一際強い光を放って過ぎ去り、あるものは留まり今も輝き続ける。――過去半世紀に及ぶ二輪史において、数々の革新的な技術と機構が生み出された。定着せず消えていった技術もあれば、以降の時代を一変させ、現代にまで残る技術もある。しかし、その全てが、エンジニアのひらめきと情熱と努力の結晶であることに疑いはない。二輪車の「初」を切り拓き、偉大なる足跡を残した車両を年代順に紐解いていく。
※本稿で取り挙げる「初」は、“公道走行可能な量産二輪市販車”としての「初」を意味します。また、「初」の定義には諸説ある場合があります。
世界初バイク「全てはここから始まった」Daimler Motoren Gesellschaft ライトラート[1885]
バイク第1号を製作したのは、現在4輪で有名なダイムラーベンツの母体。世界で初めてガソリン内燃機関を搭載した乗り物と言われ、最高速は11km/hだった。日本では、1909年(明治42年)に島津楢蔵氏が4スト単気筒400㏄の国産車「NS号」を製作。以降、宮田製作所やメグロがバイクを市販した。戦後には様々なメーカーが乱立し、ホンダ、スズキ、ヤマハが台頭していく。
フレームとホイールは木製で、サイドに補助輪を設ける。初の量産車は1894年、同じくドイツのH&W社が送り出した。
世界初DOHC「高回転化で英国車に挑んだ」HONDA CB450[1965]
DOHC(Double OverHead Camshaft)は、バルブを開閉させるカムシャフトをヘッド上に2本備えた機構。高回転&高出力化が可能で、現代でも高性能エンジンの代名詞となる。CB450は、当時最速の英国車を打破すべく、ホンダが開発した世界戦略車。「450ccで650ccの性能」を目指してDOHCを初採用し、トップクラスの最高速180km/hをマークした。国内は人気を得たが、北米ではトルク感やセミダブルクレードルを採用した車体の安定感が不評で、ヒットには至らなかった。
「当時の国産最大排気量車」KAWASAKI 650-W1[1966]
戦前から2輪メーカーとして活躍していたメグロの業績が悪化。1964年、これをカワサキが傘下に収めた。こうして同社は大型バイクの分野に進出を果たすことになる。その先兵がカワサキ初の4ストスポーツ車、650-W1だ。並列2気筒500ccのメグロ・スタミナK1を基盤に、国内最大の624ccにボアアップ。翌1967年にキャブトンマフラーのW1Sを海外向けに販売した。CB450を上回る最高出力を発揮したが、Wもまたターゲットだった北米市場での販売は不振。一方、国内では「ダブワン」の愛称で人気を博し、約9年間に及ぶ販売期間でシリーズ累計約3万台を生産している。
世界初2スト3気筒「リッター120馬力の過激な暴れ馬」KAWASKAI 500SS MACH III[H1][1969]
カワサキは、W1に続いて北米に2スト2気筒250ccのA1、同350ccのA7を投入する。これが予想以上のヒットを呼び、後継機として「世界最速」を狙ったマッハIIIが投入された。エンジンは500ccとし、世界初の2スト空冷トリプルを選択。最高出力は60psに到達した。この数値は破格で、CB450がリッター換算で97psなのに対し、マッハはリッター120psに及ぶ。ゼロヨン加速は12.4秒、最高速は198km/hと当時としては驚異的な動力性能を誇った。さらに、ピーキーな出力特性と180kgを下回る軽量な車体により、3速でもウイリーするほど走りは過激。「乗り手を選ぶ」特性と白煙を上げる右2本+左1本マフラーの威容がライダーを虜にしたのである。