1991年にホンダWGPの新旧エースが見せた鈴鹿8耐での横綱相撲。その後も続く快進撃を支えたマシンは、’86、’87年に鈴鹿8耐を戦ったワークスレーサーRVF750(NW1C)をベースに誕生したVFR750R(RC30)、それをベースにさらに進化していったRVF750だった。
※ヤングマシン2016年8月号より復刻
- 1 公道市販モデル ホンダVFR750R[RC30]1987:’86年の8耐マシンほぼそのままに市販化を果たした奇跡のマシン
- 2 1992年7月 VFR400R エンデュランススペシャルカラー[NC30]:優勝記念の“OKIカラー”
- 3 ホンダ8耐レーサーと公道市販モデルを一挙紹介!
- 4 この頃はまだ鉄フレームだった[1982-1984]
- 5 急激な進化と、『レーサーから市販車へ』の流れがはっきりしはじめる[1985-1986]
- 6 伝説のRC30が誕生。その原型も特別なマシンだった
- 7 以降のTT-F1時代はRC30がベースに
- 8 難波江行宏のマニア流チェック「無限vs童夢、ホワイトvsブラック」
- 9 関連する記事/リンク
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公道市販モデル ホンダVFR750R[RC30]1987:’86年の8耐マシンほぼそのままに市販化を果たした奇跡のマシン
プライベーターでもワークスマシンと戦える性能を追求して開発。’86年型RVFの技術が贅沢にフィードバックされ、軽量コンパクトに仕上がったRC30はVFR750F(RC24)よりも約20kg軽く、当時の感覚ではまさに400cc並みの車格であった。当時としては破格の価格設定、手作業のため生産も1日20台が限度だったが、あっという間に予約で完売。’88年以降のワークスRVFも、このRC30をベースとしていった。
1992年7月 VFR400R エンデュランススペシャルカラー[NC30]:優勝記念の“OKIカラー”
RC30の弟分がNC30こと3代目VFR400R。やはりTT-F3ワークスRVF400の技術がフィードバックされていた。’91年の鈴鹿8耐優勝を記念した、この特別カラーが最終モデルだ。
ホンダ8耐レーサーと公道市販モデルを一挙紹介!
※各車の写真は図の下方にあります。
この頃はまだ鉄フレームだった[1982-1984]
急激な進化と、『レーサーから市販車へ』の流れがはっきりしはじめる[1985-1986]
伝説のRC30が誕生。その原型も特別なマシンだった
以降のTT-F1時代はRC30がベースに
難波江行宏のマニア流チェック「無限vs童夢、ホワイトvsブラック」
ホワイトバッファロー(ホワイトブル)は無限・本田博俊、ムーンクラフト・由良拓也、チームイクザワ・生沢徹の3氏が生んだマシンで、初参戦の’84年は40位。翌年は「II」で参戦し、53位。やや残念な順位ではありますが、由良氏によるボディデザインは空力を取り入れた独特なもので、チームカラーのホワイトと相まった流麗な外見で見る者を魅了しました。
対するブラックバッファロー(ブラックブル)は童夢・林みのる氏が製作し、’85年に初参戦して38位。シャーシはオリジナルのカーボンモノコックで、ほかにも随所にカーボン素材を採用し、空力を追求した革新的マシンでした。ホワイトブルと同じくCBX750F(RC17)のエンジンを搭載し、曲面で構成された左右2分割カウルとワコールカラーが他に類を見ない雰囲気を醸し出していました。林氏の「友人たちが内緒でバイクレースを始めたので腹いせに参戦した。3000万円を投じた洒落が理解されず残念」との談話も有名です。
戦績は童夢に軍配が上がりますが、ともに’80年代の8耐を象徴するマシンだったと言っても過言ではないと思います。
●文:高橋 剛/飛澤 慎/沼尾宏明/宮田健一 ●写真:鶴身 健/長谷川 徹/真弓悟史
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