~1991 HONDA RVF750 ワイン・ガードナー&ミック・ドゥーハン~

【最速の相棒】鈴鹿8耐・栄光のTT-F1レプリカ[1991]#ホンダ編-01

TT-F1時代最強の8耐マシンがRVFだったことに異論はないだろう。WGP500でもホンダワークスを駆るガードナーとドゥーハンが、チーム内でしのぎを削った。

※ヤングマシン2016年8月号より復刻

ガードナー&ドゥーハン 新旧王者の邂逅

屈辱から這い上がる。本気でライバルをつぶしにかかる。

’90年、ガス欠によってヤマハの優勝を許してしまったホンダは、翌’91年、必勝態勢で鈴鹿8耐に臨んだ。ライダーは、ミック・ドゥーハンとワイン・ガードナー。ふたりのGPライダー、それもトップクラスの超一流ライダーたちだった。

この年、ドゥーハンは26歳。GPではロスマンズ・ホンダで3年目を迎えており、表彰台の常連に。ヤマハのウェイン・レイニーとチャンピオン争いを繰り広げていた。

[OKIホンダ・レーシングチーム]WGP500のロスマンズ・ホンダで戦うワイン・ガードナー&マイケル・ドゥーハン。このホンダ黄金コンビは’89 年以来、8耐で連続ポールを獲得するも、不遇にして優勝を逃がしており、’91年こそはとファンも祈りを込めていた。

一方のガードナーは、31歳。’87年にオーストラリア人初のGPチャンピオンの座に就いた彼は、ケガに苦しみながらも、グランプリでランキング上位に名を連ねていた。

今のモトGPで例えれば、マルク・マルケスとダニ・ペドロサがペアを組んで鈴鹿8耐に参戦するようなものだ。ゴールデンコンビはファンの注目と期待の的となった。

ふたりが駆るRVF750は、’87年に鮮烈なデビューを飾ったVFR750R(RC30)をベースに進化・熟成を重ねたマシンだ。鈴鹿8耐はもちろん、全日本ロードなどスプリントレースで培ったノウハウも存分に投入され、最強の呼び声が高かった。

当初、WGPチームではセカンドライダー扱いだったドゥーハンも’91年にはチャンピオンを争うエースに成長。前方に乗り、常にクラッチに指をかけるハングオフフォームが特徴的だった。

さらに前年のガス欠リタイヤを受け、タンクにはリザーバーコックを、フィラーキャップには燃料容量確認用の小窓を装備。ライダー、マシンともに、まさに盤石の体制だった。

しかしレースは、悪天候に翻弄された。前日からの雨が止まない。長いコースは、場所によってウエット路面とドライ路面が混在し、難しいコンディションとなった。

ライバルたちが続々と転倒を喫する中、OKIカラーのRVF750は着実に周回を重ねた。状況が難しくなればなるほど、ライダーの、マシンの、そしてチームの真価が問われる。暗闇に包まれ、午後2時に早くもライト点灯が指示された荒れたレースで、ドゥーハンとガードナーは2位に3周の大差をつけて優勝した。ゴールデンコンビによる、完璧な横綱相撲だった。

2位のマギー/チャンドラー組のヤマハYZFに3周の差を付けてみごとな優勝を果たしたホンダ黄金コンビ。3位はフォガティ/ヒスロップ組のホンダ・サテライトチームが獲得した。

THE WORDS 本多和郎氏「RVFのポリシーに基づく車体諸元をそのまま持ってきた。だから揺るぎない素性の良さがある」

[本多和郎氏]’80年に本田技術研究所入社。VFR750Fの車体責任者を務め、次いで開発総責任者としてRC30を生み出した。自身もRC30ユーザーだ。

「RVFの車体設計を担当した工藤隆志くんのコンセプトがすごく明確だった。『ライダーにある程度の自由度を与え、疲労度が少なく、なおかつ速いマシン』。バイクは素性が大事なんです。大元の諸元が決まっていれば、あとは調味料でいかようにも変えられる。逆に素性がおかしいと何をしてもダメ。RC30では、しっかりしたポリシーの元で作られたRVFの諸元をそのまま持ってくることに力を注ぎました。だから、細かい変更をしても素性の良さが揺るぎません。現代の17インチラジアルタイヤを履いてもビクともしないんです」(「Replica vol.4」より抜粋)

~1991年 鈴鹿8耐 ホンダの戦い~

●文:高橋 剛/飛澤 慎/沼尾宏明/宮田健一 ●写真:鶴身 健/長谷川 徹/真弓悟史

[1984-1993]ホンダ歴代8耐レーサーに続く(後日公開予定)

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