噂以上のスペックを引っ提げて2月1日に発表されたカワサキ「ニンジャZX-4R」シリーズ。昔で言えばナナハンの自主規制値いっぱいの77馬力を399cc並列4気筒エンジンで発揮するのですから、話題にならないはずがありません。そういえば……と思い出すのは、筆者が駆けだしのヤングマシン編集者だった頃の“狂騒曲”でした。
●文:Nom(埜邑博道) ●写真:カワサキ、YM Archives
矢田部テストコースの計測データが、メーカーの威信をかけた争いに
2月1日に発表されたカワサキ・Ninja ZX-4R/SE/RR。久しぶりの国産400cc 4気筒マシンということでその存在が噂されるようになってから、本誌をはじめバイクメディア(中にはクルマメディアもあり)でその話題が持ちきりでした。
そして、正式発表になった2月1日、噂通りの並列4気筒エンジンであるだけでなく、その最高出力は国産400cc 4気筒マシン史上最高の77馬力! さらに、カワサキお得意のラムエア過給時は80馬力と、昔のナナハン(懐かしい響き!)並の数字を叩きだしていました。
あれ、バイクの自主馬力規制ってどうなったんだっけと改めて調べてみると、250=45(’92年からは40)馬力、400=59(’92年からは53)馬力、750以上=77馬力、1000cc以上=100馬力という自主馬力規制(自主とはついているけど、実際はこの数値を守らなければ販売の認可が降りなかった)は、1996年から大型二輪免許が教習所で取得できるようになり、100馬力を優に超える逆輸入車が簡単に乗れる時代を迎えて、2007年に解除されていました。
そもそもこの規制ができたのは、’80年代の猛烈なバイクブームとともに、国内4メーカーのレーサーレプリカバイクによる馬力競争が勃発したことが原因でした。そしてあっという間に、各メーカーとも主力モデルは上限馬力に到達していました。
200馬力オーバーのリッターバイクが誰にでも買える今からすると、45馬力や59馬力なんて幼稚園児並みの最高出力と思われるかもしれませんが、当時としては超ハイスペックで、その結果、事故が頻発し、事故対策として「自主」馬力規制が生まれたのでした。
それだけ最高出力や速さがもてはやされた、というよりも唯一絶対の価値だった時代でしたから、確か’80年代中頃から本誌も250、400レプリカの新車が発売されると、4メーカーのバイクを茨城県谷田部町にあった日本自動車研究所(現在は、同じ茨城県の城里町に移転)のテストコース(通称ヤタベ)に持ち込んで、0→400m(以下ゼロヨン)加速などのデータを計測して、各車の実力を比較するというのがお約束でした。
当時はまだ、常磐自動車道が開通していなくて、本誌の新米スタッフだったボクを含めた編集スタッフが東京・東上野にあった編集部から、下道を自走してヤタベにテスト用バイクを持ち込んでいたのですが、各メーカー間の性能競争がどんどん熾烈になってきた’80年代後半になると、ゼロヨンテスト用のバイク(メーカーの広報車)をトランポに積んで各メーカーが直接テストコースに持ち込むようになってきました。