暗闇に遠くから幾多の光芒が射す。あるものは一際強い光を放って過ぎ去り、あるものは留まり今も輝き続ける。――過去半世紀に及ぶ二輪史において、数々の革新的な技術と機構が生み出された。定着せず消えていった技術もあれば、以降の時代を一変させ、現代にまで残る技術もある。しかし、その全てが、エンジニアのひらめきと情熱と努力の結晶であることに疑いはない。二輪車の「初」を切り拓き、偉大なる足跡を残した車両を年代順に紐解いていく。
※本稿で取り挙げる「初」は、“公道走行可能な量産二輪市販車”としての「初」を意味します。また、「初」の定義には諸説ある場合があります。
世界初 直4&DOHC「世界最良を完遂した名機」KAWASAKI 900 SUPER FOUR(Z1)[1972]
1968年から水面下で750ccの直4 DOHCを開発していたカワサキにとって、ホンダCB750フォアの登場は寝耳に水の出来事だった。「ホンダを完全に打ち負かすには、さらに完璧を期すべし」「世界最良」に開発方針を転換。1000cc超への展開も考慮して、903ccの排気量を選択する。発売は予定より遅れたが、1972年秋にZ1=900スーパーフォアとして欧米でリリースした。
直4で初となるDOHCを投入したほか、耐久性と整備性も考慮したニードルベアリング支持の組み立て式クランクを採用。ゼロヨン12秒フラット、最高速207.4km/hの高性能でCBを凌駕し、チューニング素材として各地のレースでも猛威を奮った。世界で爆発的な人気を呼び、CBが地盤を固めた日本車の優位性をここに決定づけたのである。また、外観も後世に大きな影響を与えた。ティアドロップ型燃料タンクと砲弾型メーター、反り返ったテールカウルによる流麗なデザインは、規範とすべきベンチマークとなった。
国産初 量産ロータリー「500ccでナナハン並みのパワーを達成」SUZUKI RE-5[1974]
2スト専業だったスズキが、夢のエンジンと言われたロータリーの基本特許をドイツから導入。約3年の開発期間を経て、国内初&唯一のロータリー搭載マシンを発売した。ロータリーは、コンパクト&ハイパワー、低振動が特徴。RE-5は497ccながら、通常のレシプロ750ccに匹敵する62psをマークした。1973年に独ハーキュレスが発売したW2000が世界初のロータリーバイクとなるが、信頼性では断然RE-5に軍配が上がる。一方、馬力や軽さは旗艦GT750に及ばず、販売面では苦戦した。
レースでも「日本人初」が続々
1959年、日本メーカーとして初めてホンダがロードレース世界選手権に参戦開始。スズキは1960年、ヤマハは1961年からエントリーを始めた。1960年の第4戦・西ドイツGP250ccで、ホンダの田中健二郎が3位となり、日本人初の表彰台を獲得。翌1961年には高橋国光が250ccで日本人初優勝を成し遂げた。
1907年開始のマン島TTでは、1963年にスズキの伊藤光夫が日本人初優勝。世界GPの日本人チャンピオンはさらに後年で、1977年に片山敬済が達成した。
WGP初勝利[1961]
マン島TT初勝利[1963]
WGP初 年間チャンピオン[1977]
暗闇に遠くから幾多の光芒が射す。あるものは一際強い光を放って過ぎ去り、あるものは留まり今も輝き続ける。――過去半世紀に及ぶ二輪史において、数々の革新的な技術と機構が生み出された。定着せず消えていった技[…]
暗闇に遠くから幾多の光芒が射す。あるものは一際強い光を放って過ぎ去り、あるものは留まり今も輝き続ける。――過去半世紀に及ぶ二輪史において、数々の革新的な技術と機構が生み出された。定着せず消えていった技[…]