GPX750RからZXR750まで

【カワサキ 8耐マシン一挙紹介】鈴鹿8耐・栄光のTT-F1マシン[1987-1993]#カワサキ編-02

1993年、鈴鹿8耐優勝を遂げたカワサキ。今のところ1度きりとなっているその優勝劇は、すべてが噛み合って強力なベースマシンが仕上がったことが大きな助けとなった。TT-F1カテゴリーで最後の優勝車でもあるZXR-7に焦点を当て、その進化の系譜を辿ってみたい。

耐久レーサー カワサキZXR-7[1993]走行中〜ピット作業まで、総合力が追求された

エンジン搭載位置やディメンションを煮詰めた、TT-F1仕様の集大成版。前年の全日本TT-F1で塚本選手がチャンピオンを獲得するなど、戦闘力は十分に高められていた。’93年は8 耐に照準を合わせ、タイヤ交換システムの刷新やエアジャッキ差し込み穴を設けるなど、ピットタイムを短縮する工夫が施された仕様を持ち込んだことも功を奏し、念願の優勝を遂げた。そして同年、北川選手により全日本2連覇も達成した。

優勝したこの車両のスイングアームはスーパーバイク仕様に近い細いタイプを使用。ヤグラ付きアームの第2チーム車とは異なっている。
フロントサスはオーリンズ倒立フォーク。ラムエアはフレームを貫通して吸気される。リヤサスもオーリンズでブレーキはニッシン製。前後タイヤにはダンロップを履く。
タコメーターは1万6000rpmまで刻まれる。左の液晶部は上が水温計で下が油温計となる。
前年型と比べて最高出力はほぼ同じながら、中低速レスポンスの向上が図られている。
半乾燥で車重は140〜150kg。当時の取材では、エンジニアがRVFの推定130kg台に比べて、かなり重たいほうの部類に入ると語っていた。

1993年11月 ZXR400 鈴鹿8耐優勝記念限定車:伊藤ハムカラーを忠実に再現

400ccのZXR400には8耐優勝を記念してレプリカカラーが発売された。スタンダード仕様をベースに350台限定。タンク上面には記念ステッカーが貼られ、スポンサーステッカーが同梱されていた。

[1993/11 ZXR400 鈴鹿8耐優勝記念限定車]■車重160kg(乾)■398cc 53ps 3.6kg-m ●当時価格:74.9万円

THE WORDS「そらカワサキに勝ってほしい。“真の王者”として」

ミスター・カワサキ

清原明彦氏 ’46年生まれ。開発ライダーとしてマッハやZ1、GPZ900R等を手がけつつ、’77年WGP西ドイツ・250決勝2位などレース戦績も抜群だ。

「ミスター・カワサキ」の愛称で親しまれ、開発ライダーとして、そしてレーシングライダーとして、カワサキの一時代を築いた清原明彦さん。鈴鹿8耐には、’78年の第1回大会から出
場している。

「当時からして、ビッグレースやったね」と清原さん。「鈴鹿8耐人気の要因のひとつは、GPライダーが参戦することやないかな」

第1回大会の優勝は、ヨシムラのウェス・クーリー/マイク・ボールドウィン組。表彰台の頂点に立ち、日本のファンにインターナショナルレースの醍醐味を知らしめたのは、アメリカ人ライダーたちだった。

昨年は、ヤマハがふたりの現役GPライダー、ポル・エスパルガロとブラッドリー・スミスを招聘。中須賀克行との3人体制で8耐に挑んだ。

エスパルガロは2分6秒フラットの予選最速タイムを叩き出し、決勝でもライダー、チームとも圧倒的な力量を見せつけて優勝。鈴鹿サーキットは例年以上の盛り上がりを見せた。

「スミスも素晴らしかったね」と清原さん。「再三ペースカーが入ったけど、そのたびにスミスはキッチリとベタ伏せして走ってた。YZF-R1は燃費がキツイと言われてたけど、それを少しでもカバーしようとしてたんや。GPライダーの真剣さは、日本人ライダーも見習わなあかん」

世界のトップライダーが活躍する、8耐。このレースを柱に、’80年代、2輪レース人気が爆発する。レーサーレプリカが大ブームとなり、’82年にバイクショップ「プロショップKIYO」をオープンした清原さんも、今では考えられないほどの台数を売り上げた。

’84年には8耐のレギュレーションが変更され、それまでの排気量上限1000ccから750ccに引き下げられ、TT-F1となった。しかし、販売面ではナナハンが爆発的に売れるようなことはなかった、と清原さんは振り返る。

「当時はまだ、限定解除の時代やからね。大型二輪免許を取ること自体が難しかった。ナナハンより400の方がよう売れた」

若者たちは、GPライダーたちがテクニックと意地をぶつけ合い、メーカーが技術競争に明け暮れた鈴鹿8耐に熱狂しながらも、現実的に手が届く400を走らせていた。8耐は、まさに憧れの極致だったのだ。

そして、清原さんとも縁の深いカワサキは、TT-F1最後の年となった’93年に、ZXR-7で優勝を果たしている。’86年に開発がスタートしたとされるZXR-7。’87年から8耐に参戦を開始し、7年目の快挙だった。

しかし、強い「カワサキ愛」を持つ清原さんは、辛口だ。

「1回だけ勝っても、それはフロック(まぐれ)や。2回、3回と勝って、初めて真の王者と呼べる。カワサキは、まだ1勝やろ? 手放しでは喜べんな」

8耐に勝つためには、メーカーの総合力はもちろん、ライダー、マシン、チーム、すべての力が必要だ。特に開発ライダーを務めていた清原さんは、マシンが気になる。そして、何よりも大切な、気迫が――。

「カワサキはずっとパワー至上主義やった。『上でパワーが出てりゃ、下はいらん!』ってな。でも長く走らせなあかん耐久レースは、結局乗りやすいマシンが勝つ。今のZX-10Rは、そういうマシンに仕上がってると思うよ。あとは、カワサキがどれだけ本気かに懸かってるんちゃうかな。そらOBとしては、カワサキに勝ってほしい。ただ、フロックやなしに、真の王者としてね」

カワサキ8耐レーサーと公道市販モデルを一挙紹介!

※各車の写真は図の下方にあります。

TT-F1の歴史とともに進化し、ラストイヤーに優勝を遂げた。

750cc専用設計のエンジンで戦いをはじめる[1986-1988]

[1986/7 GPX750R・公道市販モデル]カワサキ初となる専用設計750でセンターカムチェーン採用。フレームはスチール製。
[1987 ZXR-7・ワークス8耐レーサー]2台をチームグリーンからが走らせたが、ともに決勝リタイヤ。
[1988 ZXR-7・ワークス8耐レーサー]大きな変更はなく、各部を煮詰めた。3位表彰台を獲得。

ZXR750の初期型が登場。ワークスマシンのベースとなる[1989-1990]

[1988/1 ZXR750[H]・公道市販モデル]GPXエンジンを発展させツインチューブフレームに搭載した初期型。フロントフォークは正立。
[1989 ZXR-7・ワークス8耐レーサー]本格レプリカのZXR750ベースとなり一気にパワーアップ。
[1990 ZXR-7・ワークス8耐レーサー]フレームやスイングアームなど車体を一新し、倒立フォーク採用。

スラントノーズ化が進み、R仕様も250台限定販売[1991-1992]

[1991/3 ZXR750[H/K]・公道市販モデル]フレームや外装を一新し、エンジンは新設計の右側サイドカムチェーンに。レースホモロゲ用のRも250台限定で発売された。※写真はR
[1991 ZXR-7・ワークス8耐レーサー]ベース車が新エンジンのZXR750Rとなった。決勝4位&5位。
[1992 ZXR-7・ワークス8耐レーサー]ストレート最速とも言われ、全日本F1を制するも8耐は10位どまり。

最後のTT-F1ベース車両“L型”が登場、ついに優勝へ[1993]

[1993/2 ZXR750[L]・公道市販モデル]ラムエアインテークをカウル左側に配置。国内版R仕様は翌’94年発売(海外は’93)。
[1993 ZXR-7・ワークス8耐レーサー]参戦7年目、TT-F1ラストイヤーに悲願の8耐制覇を果たした。

難波江行宏のマニア流チェック「ラテンのノリか? 謎の“魔改造”」

カワサキのファクトリーマシン・ZXR-7が注目を浴びた’87年の8耐に、ある意味対照的なマシンがエントラントしていた。1台はゴディエ・ジュヌー/パフォーマンス社を擁するフランスカワサキのGPX750R、ゼッケン#9。もう1台はビモータジャパンのKB750・#18。

フランスカワサキのGPXは同社のオリジナルレーサーで、フレームの一部にノーマルを使用した分割構造を採用。KB750は当時のビモータジャパンが製作したレーサーで、ビモータシャーシにGPXエンジンをスワップ。

ノーマル改造とイタリアの匠を用いた、言わば”魔改造”の2台だが、ワークス勢が脱落する中、#9=ピエール・エティエ・サミン/ティエリー・クライン組がカワサキ最上位の5位、#18=佐藤順三/デイル・クォーター組が22位という結果を残している。

TEAM BIMOTA JAPAN KB750(1987)
TEAM KAWASAKI FRANCE GPX750R(1989)ノーマルフレームを流用し、アルミフレームをボルトオンしたカワサキフランス独自の構成。いち早く採用した倒立フォークはホワイトパワー製のクイックリリースタイプ、リヤも同社製。ブレーキはロッキード、キャブはケーヒンのマグネシウム製。ル・マン4位、鈴鹿5位でGPXの可能性を示した。

●文:高橋 剛/飛澤 慎/沼尾宏明/宮田健一 ●写真:鶴身 健/長谷川 徹/真弓悟史

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