1993年、鈴鹿8耐優勝を遂げたカワサキ。今のところ1度きりとなっているその優勝劇は、すべてが噛み合って強力なベースマシンが仕上がったことが大きな助けとなった。TT-F1カテゴリーで最後の優勝車でもあるZXR-7に焦点を当て、その進化の系譜を辿ってみたい。
- 1 耐久レーサー カワサキZXR-7[1993]走行中〜ピット作業まで、総合力が追求された
- 2 1993年11月 ZXR400 鈴鹿8耐優勝記念限定車:伊藤ハムカラーを忠実に再現
- 3 THE WORDS「そらカワサキに勝ってほしい。“真の王者”として」
- 4 カワサキ8耐レーサーと公道市販モデルを一挙紹介!
- 5 750cc専用設計のエンジンで戦いをはじめる[1986-1988]
- 6 ZXR750の初期型が登場。ワークスマシンのベースとなる[1989-1990]
- 7 スラントノーズ化が進み、R仕様も250台限定販売[1991-1992]
- 8 最後のTT-F1ベース車両“L型”が登場、ついに優勝へ[1993]
- 9 難波江行宏のマニア流チェック「ラテンのノリか? 謎の“魔改造”」
- 10 関連する記事/リンク
- 11 写真をまとめて見る
耐久レーサー カワサキZXR-7[1993]走行中〜ピット作業まで、総合力が追求された
エンジン搭載位置やディメンションを煮詰めた、TT-F1仕様の集大成版。前年の全日本TT-F1で塚本選手がチャンピオンを獲得するなど、戦闘力は十分に高められていた。’93年は8 耐に照準を合わせ、タイヤ交換システムの刷新やエアジャッキ差し込み穴を設けるなど、ピットタイムを短縮する工夫が施された仕様を持ち込んだことも功を奏し、念願の優勝を遂げた。そして同年、北川選手により全日本2連覇も達成した。
1993年11月 ZXR400 鈴鹿8耐優勝記念限定車:伊藤ハムカラーを忠実に再現
400ccのZXR400には8耐優勝を記念してレプリカカラーが発売された。スタンダード仕様をベースに350台限定。タンク上面には記念ステッカーが貼られ、スポンサーステッカーが同梱されていた。
THE WORDS「そらカワサキに勝ってほしい。“真の王者”として」
清原明彦氏 ’46年生まれ。開発ライダーとしてマッハやZ1、GPZ900R等を手がけつつ、’77年WGP西ドイツ・250決勝2位などレース戦績も抜群だ。
「ミスター・カワサキ」の愛称で親しまれ、開発ライダーとして、そしてレーシングライダーとして、カワサキの一時代を築いた清原明彦さん。鈴鹿8耐には、’78年の第1回大会から出
場している。
「当時からして、ビッグレースやったね」と清原さん。「鈴鹿8耐人気の要因のひとつは、GPライダーが参戦することやないかな」
第1回大会の優勝は、ヨシムラのウェス・クーリー/マイク・ボールドウィン組。表彰台の頂点に立ち、日本のファンにインターナショナルレースの醍醐味を知らしめたのは、アメリカ人ライダーたちだった。
昨年は、ヤマハがふたりの現役GPライダー、ポル・エスパルガロとブラッドリー・スミスを招聘。中須賀克行との3人体制で8耐に挑んだ。
エスパルガロは2分6秒フラットの予選最速タイムを叩き出し、決勝でもライダー、チームとも圧倒的な力量を見せつけて優勝。鈴鹿サーキットは例年以上の盛り上がりを見せた。
「スミスも素晴らしかったね」と清原さん。「再三ペースカーが入ったけど、そのたびにスミスはキッチリとベタ伏せして走ってた。YZF-R1は燃費がキツイと言われてたけど、それを少しでもカバーしようとしてたんや。GPライダーの真剣さは、日本人ライダーも見習わなあかん」
世界のトップライダーが活躍する、8耐。このレースを柱に、’80年代、2輪レース人気が爆発する。レーサーレプリカが大ブームとなり、’82年にバイクショップ「プロショップKIYO」をオープンした清原さんも、今では考えられないほどの台数を売り上げた。
’84年には8耐のレギュレーションが変更され、それまでの排気量上限1000ccから750ccに引き下げられ、TT-F1となった。しかし、販売面ではナナハンが爆発的に売れるようなことはなかった、と清原さんは振り返る。
「当時はまだ、限定解除の時代やからね。大型二輪免許を取ること自体が難しかった。ナナハンより400の方がよう売れた」
若者たちは、GPライダーたちがテクニックと意地をぶつけ合い、メーカーが技術競争に明け暮れた鈴鹿8耐に熱狂しながらも、現実的に手が届く400を走らせていた。8耐は、まさに憧れの極致だったのだ。
そして、清原さんとも縁の深いカワサキは、TT-F1最後の年となった’93年に、ZXR-7で優勝を果たしている。’86年に開発がスタートしたとされるZXR-7。’87年から8耐に参戦を開始し、7年目の快挙だった。
しかし、強い「カワサキ愛」を持つ清原さんは、辛口だ。
「1回だけ勝っても、それはフロック(まぐれ)や。2回、3回と勝って、初めて真の王者と呼べる。カワサキは、まだ1勝やろ? 手放しでは喜べんな」
8耐に勝つためには、メーカーの総合力はもちろん、ライダー、マシン、チーム、すべての力が必要だ。特に開発ライダーを務めていた清原さんは、マシンが気になる。そして、何よりも大切な、気迫が――。
「カワサキはずっとパワー至上主義やった。『上でパワーが出てりゃ、下はいらん!』ってな。でも長く走らせなあかん耐久レースは、結局乗りやすいマシンが勝つ。今のZX-10Rは、そういうマシンに仕上がってると思うよ。あとは、カワサキがどれだけ本気かに懸かってるんちゃうかな。そらOBとしては、カワサキに勝ってほしい。ただ、フロックやなしに、真の王者としてね」
カワサキ8耐レーサーと公道市販モデルを一挙紹介!
※各車の写真は図の下方にあります。
750cc専用設計のエンジンで戦いをはじめる[1986-1988]
ZXR750の初期型が登場。ワークスマシンのベースとなる[1989-1990]
スラントノーズ化が進み、R仕様も250台限定販売[1991-1992]
最後のTT-F1ベース車両“L型”が登場、ついに優勝へ[1993]
難波江行宏のマニア流チェック「ラテンのノリか? 謎の“魔改造”」
カワサキのファクトリーマシン・ZXR-7が注目を浴びた’87年の8耐に、ある意味対照的なマシンがエントラントしていた。1台はゴディエ・ジュヌー/パフォーマンス社を擁するフランスカワサキのGPX750R、ゼッケン#9。もう1台はビモータジャパンのKB750・#18。
フランスカワサキのGPXは同社のオリジナルレーサーで、フレームの一部にノーマルを使用した分割構造を採用。KB750は当時のビモータジャパンが製作したレーサーで、ビモータシャーシにGPXエンジンをスワップ。
ノーマル改造とイタリアの匠を用いた、言わば”魔改造”の2台だが、ワークス勢が脱落する中、#9=ピエール・エティエ・サミン/ティエリー・クライン組がカワサキ最上位の5位、#18=佐藤順三/デイル・クォーター組が22位という結果を残している。
●文:高橋 剛/飛澤 慎/沼尾宏明/宮田健一 ●写真:鶴身 健/長谷川 徹/真弓悟史
関連する記事/リンク
'92年の全日本TT-F1は塚本昭一のZXR-7が制した。カワサキのマシンがトップレベルに達しているのは間違いなかった。そして'93年、TT-F1ラストイヤー。カワサキが本気で8耐を獲りにいく。 ※ヤ[…]
平成から令和へ、そして10連休突入イブとも言える4月26日(金)にカワサキから朗報が飛び込んできた! 2001年以来、18年振りに川崎重工のファクトリーチームであるカワサキレーシングチーム(KRT)で[…]