既報どおり、スポーツランドSUGOにて6月8日にYZF-R6 20th Anniversary が披露される。これは1999年に登場した初代YZF-R6のカラーリングを現代に再現したものだ。600ccスーパースポーツのなかでもR6は特別なものとして認識するライダーは多い。誕生当時を知っている世代であれば、なおさら。それは、やはり特別なマシンであったYZF-R1の『インを刺す』が開発テーマだったから。本気で1000ccに勝とうとした600ccはどのようにして生まれたのか、そのストーリーを紹介しよう。
以下、ビッグマシン誌1999年1月号より
TEXT:Tetsuo MAKITA
序:Rの思想
YZF-R1の登場、それはあまりにも衝撃だった。従来の市販車からは考えられない軽さとパワーのバランス、そしてハンドリング。一躍ベストセラーへと上り詰めたのも理解できる。これに続くR6とR7も、やはり衝撃的だ。どうしてここまで徹底的に作り込んだのか、果たしてRシリーズとは何なのか。開発陣へのインタビューを通し、Rを貫く思想を徹底検証する。
エキサイトメントの追求、エンジンと車体の融合。これがRの根底に流れている
R1とR6、R7の3台を我々はYZF-Rシリーズと一言でくくってしまうが、開発陣はそうではない。イメージこそ似ているが、1台1台が個別のマシンだと考えている。シリーズとして共有するのは、およそ設計思想のみ。ここに世界中から賞賛の言葉を集めて止まない秘密が隠されている。
では、この設計思想は何かといえば、大別してソフト面とハード面があるという。ソフト面は“排気量に応じたエキサイトメントの追求”だ。
バイクは極端に言うと絶対に必要なものではない。あくまで趣味の乗りものだ。だからこそ、乗ったときに面白いという部分を一番大切にしたいと考えた。そこでエキサイトメントというキーワードを掲げ、これを最大限に追求したのがRシリーズの3車である。
「走りの楽しさの究極をエキサイトメントと呼んでいます。言葉にするとちょっと危ない表現になってしまいますが、スリリングの一歩手前と言えるでしょうか」(三輪氏)
このエキサイトメントを最優先して最適化、しかもシンプルに作り込んだのが“R”ということになる。おもしろければ、多少欠点があったとしてもいい。もちろん、ヤマハとして最低限のレベルをクリアした上でだが、狙ったエキサイトメントから外れるものは削ってしまう。例えば2人乗りなんかは多少犠牲になっても構わない。こうした思い切りのよさも特徴だ。
それと同時に、バイクに乗せられているのではなく、ライダーがバイクに働きかけて操ること。ただ漫然と速いのではなく、ライダーがコントロールする喜びが味わえるマシン。これを目指したことが“R”の根本にある思想でもある。そのため、走る・曲がる・止まるの中でも“曲がる”ことには相当にこだわっている。
つまり、乗りやすいマシンと面白いマシンは違うということだ。そのぶん、人によってはパッと乗ると乗りにくいと感じるかもしれないが、乗りこなしていく過程そのものを楽しむことができるし、乗りこなす満足感を味わうこともできる。こうしたライダーとマシンの濃密な関係。わくわくするような緊張感こそが、バイクを走らせる醍醐味と言ってもいいだろう。“R”の狙いは、まさにそこにあったのだ。
また、排気量に応じて様々な形の工キサイトメントを提供している点も忘れてはならない。R1は1000ccならではのトルクを生かす楽しみ。R6は高回転までエンジンを回し切る楽しみ。R7はサーキット走行で得られる楽しみをテーマに作り込まれている。
これら3車は楽しい部分が違うだけで、優劣という物差しでは測れない。どれもがその世界でナンバーワンを目指しているからだ。結局、馬力があるからとか、排気量が大きいからという観点ではなく、自分がどんな楽しみを求めるかで選ぶマシンが変わるだけ。ここにシリーズ化の意味がある。
一方、ハード面でRシリーズに共通する思想は何かといえば、それはエンジンと車体の融合」である。
「エンジンは車体の一部となって剛性を負担し、車体はエンジンの駆動を助けてあげるような設計です」(三輪氏)
はじめにエンジンありきで、これに合わせた車体を作るのではなく、最初からエンジンと車体が助け合うようにデザインされているわけだ。
こういった思想を現実のものにするため、今までとは全く違ったマシン作りが要求された。エンジンを他機種に流用することは不可能だし、あらゆるパーツが専用開発になってしまう。しかも生産に手間が掛かる。メーカーとしては非常にリスクが高い冒険だ。
「オーダーはナンバーワンのスーパースポーツを作れということでしたから、役員には掛け合いましたね。ここまでしないと作れないって。結局、答えはGOでした」(三輪氏)
かくして、一切の妥協を許さない開発がスタートするのである。
Rシリーズの開発は早い段階でスタッフを固定し、彼らが自分たちで様々な部分を決めてきた。どの気量にするかも多くの議論があり、結局はまずフラッグシップを作ろうということでR1の開発に着手。’95年3月には理想のR1像を見つける旅に出た。
翌年の夏、これに続いてR6を見つける旅が行われ、R6の開発もスタート。いずれの旅もヨーロッパにしばらく滞在し、バイクで走り回って何が求められているかを自分たちの肌で感じ取ることが目的だったという。R7の開発はさらに遅れてスタートするが、これについては後述するとしよう。
旅を終えた後はデザイナーをはじめ、エンジン設計者や車体設計者がお互いに挑戦状をたたき付けるようにして活発な議論を展開。徐々に形が出来上がる。結果的にどのスタッフも、自分の担当を超えて車体やエンジンに詳しくなっていった。
また、開発初期から製造サイドのメンバーが加わったのもポイントだった。“R”を完成させるには、実際にパーツを作ったり組み立てたりする部署にも新しい試みが求められたからである。工場側も当然負担が増えるので、抵抗がなかったといえば嘘になる。しかし、懇親会と称して開発陣の理念や意気込みを理解してもらう場を設け、みんなでやってみようという気風を生みだした。つまり、会社の全組織をあげて開発が行われたのである。
こうして、類まれなコンセプトを具現化したR1が産声をあげることになる。そして’98年秋、満を持してR6がこれに続いたのであった。
R1とR6は、ともにベストスーパースポーツを目指すライバルである
新たなフラッグシップとして開発がスタートしたR1に与えられた命題は、ヨーロッパでナンバーワンのスーパースポーツになるということだけだった。
そのためにまずはエンジン型式から模索し、ツインでいくか直4で行くかという議論も行われた。最終的には高回転域のエキサイトメントを重視して直4を選び、軽さとパワーのバランスで排気量を1000ccに決定。直4のほうがエンジンと車体を融合させやすいというメリットも大きかった。
完全な新設計エンジンを作れるとあって、当初は最高出力を追求する方向も考えたが、最高速度は260~270km/hも出れば十分。それより軽くてコーナーを速く走れるマシンにしようという声が大勢を占める。また、単に出力が出ているだけでは思いのほか良い評価が得られないことが多いので、車体に載せたときに高い評価が得られるエンジンを目指して、双方の設計者が緊密に話し合いながら開発は進められていった。
「初期に設計したエンジンは従来よりだいぶコンパクトだったんですが、それでも車体の担当者からもっと短くしろと要求が来たんです。それで、物理的にもうこれ以上詰められないところまでドライフスプロケットの位置を前に持ってきました。これで文句ないだろうってね」(島本氏)
こうして究極ともいえるほど前後長が短いエンジンと現在の3軸レイアウトが生み出される。それと同時に、ホイールベース1400mm以内、スイングアームはその4割程度の長さにするという当初からの目標も達成した。
また、軽くてコンパクトで剛性も高いという機能面を優先し、一体式のアッパークランクケースとメッキシリンダーを採用。新たにメッキの設備を導入したり工作機械を新調するなど、多額の投資も行った。
もちろん、5バルブとEXUPの導入についても議論があったが、結局はトルクの厚さとハイパフォーマンスを両立させるため、重量とコストがかさむのを承知で採用することにした。
「このふたつはヤマハ固有の技術ですし、もしR1に追従するライバルが現れても追いつけないようにしたかった。それで採用したんです」(三輪氏)
5バルブでピークを出し、EXUPが低中速トルクを増強。あえて3段階にトルクが盛り上がるようにして、これをコーナーの立ち上がりで使えるようにしたのがユニークなところだ。
コーナーに入ってチェーンのたるみを取って、立ち上がるときにグーンと来る。 場合によってはフロントを持ち上げながらグワッと来る領域を5000、7000、1万rpm付近に設け、それぞれが低速、中速、高速コーナーの立ち上がりで使えるようにしているのだ。このあたりも、いかにエキサイトメントとコーナリングにこだわっているかを表している。
最高出力についても意見が分かれた。120馬力台でも十分にエキサイティングなコーナリングが味わえるので、これでいいという設計者もいたが、スーパースポーツにとって馬力はやはり大きな魅力。そこでクラス最強の150馬力を確保し、これをいかに味わってもらうかに心血が注がれた。
「馬力は自然と出てしまうので、ロングストロークにしてバルブやポートの径、カム開度も小さくして、全てをコントロール性重視、レスポンス重視の方向で設計しました」(島本氏)
だからこそ、これだけの馬力を操る醍醐味が味わえるのである。
車体面は軽さと同時にかっこよさ、ライダーがアクションしてコーナーを駆け抜ける楽しさを優先。図面主義ではなく、実験担当(テストライダー)の意見を積極的に取り込んだ。
ロングスイングアームは最初から採用が決まっていたが、サスペンションやブレーキの仕様などは実験を通して煮詰められていく。さらに、軽量化も徹底的に行った。そのため工場の各セクションに目標重量を決めて取り組んでもらい、ホイールやカウル、タンクをはじめ全ての部分で新たなトライを行ったという。
こうして妥協を許さず作り込まれたR1は、デビュー後たちまちベストセラーに名を連ねたのである。
R6がR1の弟分と見られるのが嫌だった
R1より少し遅れてR6の開発も始まったが、開発陣の心中は穏やかではなかった。ヤマハとして初めて完全新設計の600ccを作るのに携われたのはうれしかったが、どうしても気に入らないことがあったのだ。
「本当はRシリーズではなく、サンダーキャットの後継機種のほうがよかったんです。R1の格下のマシンと見られるのが一番いやでしたから」(竹内氏)
確かにRシリーズとなると、そういう見方も出てくるだろう。そこで考えたのは、他メーカーの600ccというより、R1を打ち負かすマシンを作ろうということだった。つまり、R6はR1を最うライバル視したのである。
しかし、開発陣がR1に乗ってみたら異次元で、スーパースポーツの座法軸が変わってしまったと感じたという。 これを超えるのは相当大変だな……と。そこで、600ccでなければできない部分を徹底的に作り込んでいった。
R6を見つける旅で予想以上にデザインが大切なことや、600ccに乗る人は毎日“ツーリングという名のレース”をしていることを知ったので、スタイリングと速さにも相当こだわった。
機能面は設計のほうで何とかするからR1にはできないスタイリングを作り込もうと、あくまでデザインを優先。結果的に、完成度の高いスタイリングを手に入れた。さらに、フレームレイアウトも徹底的に煮詰めて600ccなららのスリムさを表現。股の下、胸の下に全てが収まってしまうようなタイトな乗車感を実現している。
600ccはヨーロッパだと全開にできる排気量。実際、それが許される環境もあるので目標最高速度を260km/hオーバーに設定した。ただ、最高出力はどうでもよかったという。
「作っているほうは走りの面白さを重視していましたが、私はリッター200馬力にこだわった。市場にインパクトを与えたかったんです」(三輪氏)
他社の600ccは1万2500rpmから上の世界を味わわせてくれないし、R1にもこの世界はない。だからR6は1万5000rpmという世界の創造を目指した。コーナーの立ち上がりで引っ張れるエンジンを……。
R6のエンジンは、例えばアルプスのように山と谷があり、各回転域で様々な表情が楽しめるという。
「とにかく五感を大切にしています。600ccならではの上昇感や伸び切り感。 数値では捕えられない部分に多くの時間を割きました」(野沢氏)
もちろんレースのことも3~4割は 考えているという。それに600ccは リッタークラスと違って排気量を上げられないから、将来のことも十分に考えてある。だからこそ、1000ccで ストリートメインのR1にはないものを、たくさん備えているのである。
ここでR6の車体にも触れておこう。特にフレームは独自の設計思想が取り入れられた注目部分だ。デルタボックスIIという名称こそ同じものの、R6用はヘッドパイプからスイングアームピボットまでの距離を徹底的に詰めた進化型。しかも、より軽くスリムにし、ラムエアのダクトまで通してある。
「できるだけR1を見ないように、R1の設計者とも話さないようにしてレイアウトしました。鋳造部分は普通のCADでは書けない自由曲面を描き、肉厚までコントロールしています。かなり有機的な設計ですね」(狩野氏)
形状だけでなく肉厚でも剛性バランスを追求した点が新境地といえるだろう。さしずめデルタボックスIIIと呼び たくなるほどだ。
R6はエンジンと車体の融合という意味で、R1を完全に凌駕していると開発陣は自負している。R1がモデルチェンジしたら、こんなふうになるんじゃないですか……と。R1の思想をいっそう進化させたのがR6だったのだ。
R1とR6は楽しいシーンが大きく違う
ヨーロッパをはじめ“ベストスーパースポーツは600cc”という考え方 が根強くある。これを具現化したのがR6だ。回り込んでいる大きめのコーナーを、長い時間ベタッとバンクしたまま駆け抜ける。バンク時の操安まで考えて出力特性が作り込まれているので、立ち上がりではエンジンを回し切れる。ここが面白い。
一方のR1もベストスーパースポーツを目指したマシン。ただ、こちらはクルッと曲げてスロットルで起こし、トラクションで回するのが持ち味だ。
「R1の出来が良すぎて600ccに近づいたのが、私としては嫌ですね。でも、R6もがんばった」(金原氏/R6 の走行実験担当)
実際にR1とR6の走行実験を担当した小島氏も、両車の作り分けが大変だったという。ただ、排気量の差は決定的だったので、キャラクターの違いはうまく引き出せた。
R1もR6もベストを目指し、開発陣もライバル意識を剥き出しにして目的を達成。どちらもRシリーズのトップモデルに位置するのである。
「2台ともヨーロッパメインですが、日本でも十分に楽しいと思います。ライダーとしては同じエキサイトメントを感じてもらえるでしょう」(小池氏)
年明け(1999年当時)にはR1に続いてR6の逆輸入車も買えるようになる。はたしてどちらを買うべきか、それを大いに悩むほどR6の出来はいい。R1のインを刺せるマシンなのだから……。
ヤマハの技術を全て投入し、サーキットに狙いを絞ったYZF-R7
R1とR6は当初からRシリーズのラインナップに組み込まれていたが、R7はこれらとは背景が異なるところで企画された。
「ヨーロッパにはやはり750ccクラスという確固たるマーケットがあるの で、Rシリーズも1000ccと600ccだけではちょっと歯抜けな感じがするかな、と思いまして……」(三輪氏)
それに、750ccに乗るライダー達は割りとよくサーキット走行を楽しんでいて、仲間うちでもきちんと発言権を持っている場合が多い。こんなライダー達のためにもR7を作ろうということになった。
しかし、R7が本当に目指したのは、ヤマハの技術の集大成であることと、スーパーバイクレースのベースマシンになることだった。それを誇示するようにOW-08の名称も与えられている。
R1やR6に続いて、またもや完全新設計のエンジンと車体の開発に着手。あくまで各機種専用、妥協を許さないのがRシリーズのコンセプトとはいえ、これには恐れ入る。
「やるからには徹底的にやらせていただきます。そんな意気込みで始めましたね」(三輪氏)
このプロジェクトは一般の開発スタッフだけではなく、レース部門との混合チームで進められた。もともとワークスマシンに与えられていたコードネ ーム“OW” を与えたのも、そういった意気込みからといっていい。
「R7のエンジンは遠くから見るとR1のエンジンに見えるんです。でも近付くにつれ、ひと回り小さいのが分かってくる。補器類の配置なんかもよく似てますね」(島本氏)
全高も幅も前後長もR1より小さく軽量化されたR7のエンジンは、シリーズ共通の基本構成を踏襲しながらヤマハの技術の粋が投入されている。例えばそれは、ふんだんに奢られたチタン製パーツであり、1気筒あたり2インジェクターのフューエルインジェクションだったりする。当然、レース用キットパーツも用意されるという。
車体はYZR500の技術に基づいて開発されたフレームとワークスタイプのロングスイングアーム、前後ともオーリンズのフルアジャスタブルサスペンションと、こちらも技術の集大成だ。もちろんフロントのオーリンズはスーパーバイクレース用に市販されているものと同じ性能を持っている。
なお、ホイールはR1と共通だが、リヤタイヤは180(リム幅は6インチ)とワンサイズ細めの設定。これは市販車に必要なチェーンとタイヤのクリアランスを確保するためだった。
「実際にレースで使う場合はタイヤを交換するでしょ。190を入れてもレースなら問題ないクリアランスは確保してあります」(三輪氏)
さらに、着脱式のリヤフェンダーを採用するなど、OW-01以上にサーキット走行を意識し、高い完成度を持つのがR7なのだ。
ここまでレースを意識して作り込んであると、同じ“R”とはいえR1やR6とは一線を画し、4ストのYZRと例えたくなる。やはりR7はベストスーパースポーツの2台とはあまりにかけ離れた存在だといえよう。
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