「ヤマハ歴史車両デモ走行見学会」にサプライズ登場

ケニー・ロバーツがRZV500Rで激走!

11月3日にヤマハ袋井テストコースにて開催された「歴史車両デモ走行見学会2018」。そこになんと、サプライズゲストとしてあのケニー・ロバーツが来場! 3台の2サイクルマシンを駆り、1500人の来場者の前で豪快な走りを披露した!

総勢31台のクラシック・ヤマハが快走

ヤマハが動態保存している歴代車両。その走行確認テストを一般公開するイベントがこの「歴史車両デモ走行見学会」だ。‘99年に第一回が行われ、今回は2年ぶりの開催。場所は前回と同じくヤマハの袋井テストコースで、WEBでの事前予約に申し込んだ1500人(20分で定員に達したという!)がヤマハの名車たちを愛でるために集まった。

計31台のヤマハ車が走行を披露。現行車とは異なる個性的な排気音を響かせた。ちなみに市販車のライダーはヤマハの社員有志が担当。

今回はヤマハの初号機となるYA-1を日高祥博社長が走らせたほか、市販車/レーサーを含めて計31台(+4輪が4台)が走行したが、そこにスペシャルゲストとして招かれたのが、なんとあのケニー・ロバーツ! これはサプライズとして当日まで秘密とされており、名前が明かされた瞬間、来場者からは大きなどよめきが巻き起こった。

ヤマハで長年レーシングマシンの開発に携わってきた北川成人さん(右)の通訳でトークショーも開催。サービス精神旺盛なケニーさんだけに、北川さんが訳せない発言も連発!
暖機されるYZR750と、それを待つケニーさん。750cc直4の2サイクルサウンドは野太くド迫力。
こちらはRZVを走らせるケニーさん。動画からのキャプチャなので荒くて恐縮ですが、全開です!
スタッフと同じ布ツナギ姿で現れ、ヘルメットを脱ぐと……社長じゃん! という趣向で登場した日高社長。「赤とんぼ」の愛称で親しまれたYA-1(1955年)を走らせた。

‘78〜80年と3年連続でGP500クラスを制した“キング”は、RZV500Rのほか、自身がデイトナ200マイルで優勝した‘78年式YZR750(0W31)や、‘83年にフレディ・スペンサーとチャンピオン争いを演じたYZR500(0W70)でも全開走行し、今はなき大排気量2サイクルレーサーの豪快な排気音を響かせた。パワーリフトまで披露するなど、御年67歳とは思えぬ走りを見せた後には、「ジェッティングが濃すぎるぞ!(←安全性を考え、あえて濃くされていた)」とジョークを飛ばすなど、旺盛なサービス精神で来場者を楽しませてくれた。

デモラン前に、YZR750のテスト走行に入るケニーさん。奥のマルボロカラー車がYZR500。
ファンにとっては記念撮影やサインをねだる絶好の機会。ケニーさんも気軽に応じます。

走行車両に加え、15台の市販車と11台のレーシングマシンも展示されたほか、ヤマハが開発に深く関与したトヨタ2000GTやレクサスLFA、F1用の3.5LV12エンジンを搭載し、‘90年代に市販を目論んだヤマハOX99-11などの4輪車もデモ走行。往年の名車を間近に観察できるのはもちろん、本来なら立入禁止のテストコースに入れるだけでもファンは感激だろう。かくいう筆者も、取材を忘れて楽しませていただきました!

展示&走行車両(抜粋)

以下、当日の展示&走行車両を筆者の個人的セレクトで抜粋して紹介します。走行動画も後日公開しますので、お楽しみに!

【YDS-1(1959年)】‘57年の浅間火山レースで活躍したワークスマシンをベースとする、ヤマハ初のスーパースポーツモデル。247ccの空冷並列2気筒は20psを発生した。5段ミッションは国産車初採用。
【RZ250(1980年)】2サイクルの魅力を徹底追求した250スポーツ。当時4サイクルに傾きつつあった市場に2サイクルの楽しさを再認識させ爆発的ヒット。後のレーサーレプリカブームの火付け役になる。
【TZR250(1985年)】市販レーサー・TZ250と共同開発されたヤマハ初の本格的2サイクルレプリカ。アルミツインスパーフレームに、排気デバイス「YPVS」を装備し45psを発揮する水冷並列2気筒を搭載。レプリカブームを大きく加速させる。
【TZR250(1989年)】3MAという型式名から「サンマ」と愛称される2代目TZR。前方吸気・後方排気とされたエンジンレイアウトが最大の特徴で、テールカウルからは2本のサイレンサーエンドが突き出す。
【RZV500R(1984年)】’83年にケニー・ロバーツが駆ったGP500マシン・YZR500のイメージを追ったビッグ2サイクルレプリカ。2軸クランクのV4エンジンはスペース面を理由に、前方気筒はクランクケースリードバルブ、後方気筒はピストンリードバルブと吸入方式が異なっている。
【XJ650ターボ(1982年)】ヤマハ初のターボモデル。XJ650の空冷4気筒に三菱製タービンをドッキング、燃料供給にキャブを用いつつも、ベース車の4割増となる85psの最高出力を発生した。風洞実験を重ねて開発されたエアロフォルムも大きな特徴。
【XVZ12TD ベンチャーロイヤル(1982年)】北米向けに開発されたツアラーモデルで、AM/FMカセットやコンピュータ制御のサスペンションなど豪華装備を満載。当時のヤマハ最大排気量&最大出力(1196cc・90ps)を誇った水冷V4エンジンは後にVMAXに転用される。
【トレーシィCZ125(1983年)】エアロボディに吸気チャンバー「YEIS」を持つ水冷2サイクル・123ccエンジンを搭載。16psの高出力で「スクーターのRZ」の異名を持つ快速モデル。
【トヨタ2000GT(1967年】言わずと知れた日本車史上に輝く名車は、トヨタとヤマハが共同開発し、生産もヤマハの磐田工場が担当。2000ccの直列6気筒エンジンは、後にヤマハが初の4サイクル車・XS-1(1970年)を設計する際の参考になったとされる。

「ケニー・ロバーツ氏がライテクの真髄を語る」はこちら