快適なかぶり心地と良好な視界を求めて【50年カンパニー Vol.6 SHOEI 最新テクノロジー編】
創業以来、長きにわたってライダーをサポートし続けているメーカー/企業が、ここ日本には数多くある。中でも、50年を超える歴史を持つところは、バイク業界に訪れた大波・小波を乗り越えながら、常にライダーを見つめ、ライダーのために歩んできた。東京・新橋で創業したSHOEIは、65周年を迎えるいま、プレミアム・ヘルメットメーカーとして国内外で多くのユーザーから高い支持を受けている。SHOEIのヘルメットはどんな進化を歩んだのか、商品開発本部長の志田さんと、商品企画部の海老沢さんにお聞きした。
●取材/文:Nom ●写真:真弓悟史、SHOEI ●BRAND POST提供:SHOEI
1990年代初めに現在まで続くシリーズモデルが続々と誕生
また、1990年代初めには四輪用ヘルメット・X-Fourを発売し、同時に何人ものFIドライバーとも契約を交わす。アラン・プロスト、ジャン・アレジ、アイルトン・セナ、ミハエル・シューマッハ、鈴木亜久里など誰もが名前を聞いたことのあるようなドライバーがSHOEIロゴの入ったヘルメットでサーキットを疾走していた。
レースでの活躍は、昭栄化工の名声を大きく押し上げることになった。しかし、好事魔多し。
過剰な設備投資などによって昭栄化工は債務超過に陥り、1992年に会社更生法適用を申請。三菱系列傘下で再建を図ることになったのだ(1998年に更生手続きを終了)。
とはいえ、ヘルメットメーカーとしての活動に遅滞はなく、逆に困難な現状を打破しようと社員が非常に頑張っていたという。
実際、翌1993年には初のシステムヘルメット「J-ACTER」、1996年にはジェットタイプの「J-FORCE」、ツーリング用フルフェイスの「Z-CRUZ」など現在まで続くシリーズも誕生している。
「1990年代初めはレースブームも終わり、国内マーケットは冬の時代に。ですから、どういう方向性がいいのか、ちゃんと市場を考えて、用途に合わせて商品を作り分けるということが始まりました」(海老沢)
これまでと違うフルフェイスを求めて生まれたのがZ-3
それまでフルフェイスはレースに使えるのが前提だったが、レースには出ない人のためのツーリング用フルフェイスがあってもいいじゃないか。そんな発想で生まれたのがZ-CRUZだった。
「フルフェイスだけどレースじゃなくてツーリング。高速道路を使ったハイスピードクルージング用と、それまでとは違った方向に的を絞りました。ですから、これはMFJ公認もSNELLも取らず、規格はJISだけ。その方が軽くていいでしょう、という考えでした。すごく小さいですが、リヤスポイラー的なものも初めて付けました」(志田)
当時、Z-CRUZのテストを担当していた海老沢さんが言う。
「日本自動車研究所の高速周回路を、元ヤマハのワークスライダーだった方に走行テストをしてもらったら、このヘルメットは走っていると軽くなってくるねって言われて。風洞で確認したら、やはりリフトの数値がとてもよかったんです」(海老沢)
現在は、茨城工場に専用の風洞実験施設を持つSHOEIだが、それ以前から簡易的な風洞を使用してのテストを行ってきていてそれが確実に結果に結びついたのだった。
2000年に登場した「Z-3」も、まったく新しい発想から生まれたモデルだった。
「デザイン的にこれまでと違うものを作りたくて、ベンチレーションやアウトレットもどんどん大きく派手になっていたので、そういう方向じゃないシンプルなものにしようと思ったんです。実際は、コンパクトで軽量というのがセールスポイントになりましたが、最初はそういう発想からスタートしました」(志田)
そのZ-3は現在はコンパクトと軽量を追求したZ-8まで進化している。
インナーサンバイザー、インターコム ビルトインが人気を集めている
同じ年に登場したシステムヘルメットの「SYNCROTEC」も、2007年に「MULTITEC」、2012年に「NEOTEC」に進化して現在の3まで高い人気を保ち続けている。
特に、NEOTECが初採用したインナーサンバイザーは同年に登場した「J-Cruise」にも採用され、その利便性の高さで大きな話題となり、このシステムの愛好者を続々と生み出した。
「インナーサンバイザーはお客様のリクエストで、安全性を損なわずにどうやったら内蔵できるかがポイントでした。他社のパテントもあったので、それに抵触せずに使い勝手をよくしようということで試行錯誤しました」(海老沢)
NEOTECは2に進化した際に、セナのインターコム「SRL」が内蔵可能になった。
「あれも、最近インターコムを付けている人が多いけど、もっとシンプルに付けられないかという発想と要望に対して、しっかりアプローチした結果です。そういう部分がウチの特徴なんだと思います」(海老沢)
ちなみに、現在、インナーサンバイザー装備モデルとインターコム対応モデルの合計販売台数は、全モデルの4割を占めるほどになっているという(2023年9月現在)。
より快適なかぶり心地の実現のためP.F.S.を開発しサービスを開始
ユーザーの声、特にこうなったらいいのにという声を真摯に聞いて、それを製品にフィードバックする姿勢と、それを実現する技術力の高さがSHOEIの強さかもしれない。
海老沢さんが担当して開発したパーソナル・フィッティング・システム=P.F.S.も、ユーザーの不満を解消し、快適性を大きく向上させるために寄与している。
「Xイレブンが出たとき、それまでMとLは同じ帽体だったのを別々にしたんです。ボクはMをかぶっていたんですが、Mをかぶったらものすごくきつい。そこでLをかぶったら、今度は前後がスカスカ。それで分かったのは、ボクの頭は横幅がLで、前後はSサイズだということで、前後にウレタンパッドを入れたらすごくよくなったんです。お客さまの中にも、ヘルメットがどうにも合わなくて、自分の頭の形が悪いと思いこんでいる人がいるはずだと思い、計測器を作って前後と左右のサイズを測って、必要なところにウレタンを貼ってサイズ調整をするようにしました」(海老沢)
現在は、国内5か所のSHOEIギャラリーはもちろん、専門のノウハウを身に付けたスタッフがいるテクニカルショップでも計測・調整を行っている。海老沢さんによると、ヘルメット購入者の4割くらいがP.F.S.を利用しているそうだ。
最後に、志田さんに今後作りたいヘルメットを聞いてみた。
「個人的な考えですけど、事故を起こさないヘルメットを作りたいです。ヘルメットは事故を起こした際の性能が大事なんですが、そもそも事故を起こさないためにはどうしたらいいのか。快適性をもっと向上して、暑さも感じない、いつでもストレスなくかぶれるヘルメットを作りたい。夢みたいな話ですけど、そういうアプローチもしたい、そういう製品を作りたいと思っています」(志田)
会社更生法適用という大波を乗り越えて、いまや日本が世界に誇れるプレミアム・ヘルメットメーカーとなったSHOEI。意外にもその成功の背景にあるのは、お客様の声を真摯に聞いて、それに着実に応えるというとても地味な行いの積み重ねなのかもしれない。(文中敬称略)
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※本記事はSHOEIが提供したもので、一部プロモーション要素を含みます。※掲載内容は公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。※特別な表記がないかぎり、価格情報は税込です。