1959年に昭栄化工設立、のちに「SHOEI」としてヘルメットメーカーの頂点へ【50年カンパニー Vol.6 SHOEI 歴史編】
創業以来、長きにわたってライダーをサポートし続けているメーカー/企業が、ここ日本には数多くある。中でも、50年を超える歴史を持つところは、バイク業界に訪れた大波・小波を乗り越えながら、常にライダーを見つめ、ライダーのために歩んできた。東京・新橋で創業したSHOEIは、65周年を迎えるいま、プレミアム・ヘルメットメーカーとして国内外で多くのユーザーから高い支持を受けている。SHOEIのヘルメットはどんな進化を歩んだのか、商品開発本部長の志田さんと、商品企画部の海老沢さんにお聞きした。
●取材/文:Nom ●写真:真弓悟史、SHOEI ●BRAND POST提供:SHOEI
旅館の一室でFRP製ヘルメットを手探りで作り始めた
東京・新橋で経営していた旅館の一室で、創業者の鎌田栄太郎がFRP製ヘルメットの製作をはじめたのが今日のSHOEIのはじまりだ。
その旅館はホンダの社員もよく利用していて、彼らからバイクやその関連商品の将来性を聞いていた鎌田が興味を持ち、手探りでヘルメットの製造を始めたのである。
1959年には社名を昭栄化工としたが、当時はまだバイク市場は黎明期で、作っていたのも鉱山従事者用の安全帽。1960年になり、足立区にあった東京工場で二輪用のヘルメットの製造に着手し、1963年に最初のレース用ヘルメット「SR-1」が誕生した。
ヘルメットが本格的に一般ユーザーから求められるようになったのは、1972年に道交法が改正されて自動二輪車のヘルメット着用義務が始まってからだ。昭栄化工のヘルメットも、一時在庫が底をつくほどに売れに売れたが、製品自体はまだまだ海外製品のコピーの時代が続いていた。
独自デザインの商品を作るためジウジアーロにデザインを依頼
とはいえ、当初から剛性の高いFRPの帽体を使用し、品質面・安全面にも配慮していた昭栄化工の製品は、国内外で次第に広く認知されていった。そこで、デザイン面でもオリジナリティのある商品を作ろうとして、工業デザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロにデザインを依頼。1983年に誕生したのがZ-100であった。
「1970年代の終わりくらいに、ウチ独自のヘルメットを作らなければという話が出て、ジウジアーロにデザインを依頼したそうです」(海老沢)
「何点か書いたイラストから1点を選んで、それをベースにクレイモデルを作ってもらってイタリアから運んできたと聞いています」(志田)
Z-100は、デザインだけでなくさまざまな点で昭栄化工にとって転機になった。それまでは、平たい板材を曲げて曲面を作っていたシールドが、アールを付けた金型にプラスチック樹脂を射出して成形するインジェクション方式で作られるようになったのだ。
「インジェクションで成形するというのもジウジアーロのリクエストで、そこから弊社の主力フルフェイス用のシールドはすべてインジェクションを採用しています」(志田)
また、現在のSHOEIロゴもジウジアーロがそのときにデザインしたものだそうだ。
現在に至るまでのSHOEIのフルフェイスヘルメットの大本となったZ-100、続いて登場したRF102は大好評を博した。
WGPライダーやF1ドライバーと次々と契約を結んだ
1980年代~1990年代は一大レースブームで、各二輪メーカーが競ってレーサーレプリカを発表・発売し、街中もレーサーレプリカばかり、ツーリングにも革ツナギを着ていくような時代。当然、ヘルメットもレースイメージのフルフェイスが主流だった。
ワイン・ガードナー、エディ・ローソン、ウエイン・レイニーなど、昭栄の契約レーシングライダーはトップライダーぞろいで、1987年から1992年まで世界GPの最高峰クラス(GP500クラス)のチャンピオンライダーは昭栄ユーザーだった。
レーシングライダーからのフィードバックによるヘルメットの改良・進化も多々あって、そのひとつが額部分から帽体内に走行風を取り入れるベンチレーションだ。
「ベンチレーションは、ウチが初めて採用したと言われているんですが、鈴鹿8時間耐久レースに参戦した選手が、暑くてたまらないからヘルメットに穴を開けてくれと言ったんだそうです」(海老沢)
世界GPライダーの実戦からのフィードバックを得て、上下のベンチレーションに後部のエアアウトレット、風切り音を軽減するためにシールドカバーを廃した「ビルトインメカシールド」など、この頃に現行のヘルメットの基礎ができてきたのである。
後日『最新テクノロジー編』を公開します。
──SHOEI HISTORY──
1959年 | 昭栄化工株式会社を設立。東京工場を設置し、安全帽(一般用ヘルメット)の生産に着手。 |
1960年 | 乗車用安全帽(二輪用ヘルメット)の生産に着手。東京工場を移転。 |
1962年 | 東京工場、安全帽について日本工業規格表示許可工場となる。FRPの特性を活かした新製品の開発を図る。レーシングライダーにヘルメットを提供。研究開発へのフィードバックを図る。 |
1963年 | 最初のレース用ヘルメット「SR-1」を開発。 |
1967年 | 茨城工場を新設。フルフェイスヘルメット「SR-Z(S-12)」の生産を開始。 |
1968年 | SHOEI SAFETY HELMET CORPORATIONを米国 California州に設立。 |
1971年 | 茨城工場、乗車用安全帽について日本工業規格表示許可工場となる。ジェットタイプの「S-3」、セミジェットタイプ「AS-1」、「S-10」を生産。「S-12」でSNELL規格を取得。 |
1976年 | 世界初のカーボン繊維採用のフルフェイスモデル「GR-Z」を発売。 |
1978年 | SHOEI EUROPE PVBAをベルギーに設立。 |
1980年 | 東京工場を新築。 |
1983年 | フルフェイスヘルメット「Z-100」を発表。レース用フルフェイス「RF-102」、ジェットタイプ「TJ-201」発売。 |
1984年 | 額部分にベンチレーション機構を初採用した「RF-102V」と「TJ201V」を発売。チンバーにベンチレーション機構を採用した「TF-250」を発売。 |
1987年 | フランスに現地法人SHOEI FRANCE SARL(現SHOEI EUROPE DISTRIBUTION SARL)を設立。カーボン繊維を使用する「GRV」発売。 |
1989年 | 岩手工場を新設。 |
1990年 | 「ビルトインメカシールド」搭載のフルフェイスモデル「X-8」発売。 |
1992年 | ウェイン・レイニー選手がGP500クラスで3 連覇を達成(’90年~’92年)。’87年からこの年まで6年連続で、SHOEI契約ライダーがGP500クラスでチャンピオンに輝く。5月に会社更生法を申請。 |
1994年 | ドイツに現地法人SHOEI(EUROPA)GMBHを設立。 |
1996年 | 「J-FORCE」発売。 |
2000年 | 軽量・コンパクトな「Z-3」、「SYNCROTEC」発売。 |
2002年 | 最上級レース仕様フルフェイスモデル「X-Eleven」発売。 |
2009年 | 「X-TWELVE」、「Z-6」発売。 |
2012年 | インナーサンバイザー装備のモデル「NEOTEC 」、「J-Cruise」発売。 |
2013年 | 「GT-Air」発売。マルク・マルケス選手が最高峰クラス史上最年少で年間チャンピオンを獲得。 |
2015年 | 「J-FORCE IV」と「HORNET ADV」発売。フォトクロミックシールド発売。 |
2016年 | 「X-Fourteen」、新カテゴリーの「J・O」発売。 |
2018年 | 「NEOTEC Ⅱ」、「VFX-WR」、「EX-ZERO」発売。 |
2019年 | 「J-CruiseⅡ」、「GT-AirⅡ」発売。SHOEI ASIA CO., LTD. 設立(タイ)。 |
2020年 | 「Glamster」発売。「SHOEI Gallery TOKYO」が東京都千代田区にオープン。 |
2021年 | 「Z-8」発売。「SHOEI Gallery OSAKA」が大阪府大阪市にオープン。 |
2022年 | 「OPTICSON」発売。「SHOEI Gallery YOKOHAMA」が神奈川県横浜市にオープン。 |
2023年 | 「X-Fifteen」、「NEOTEC3」発売。フランス/パリ、京都府、福岡県にそれぞれSHOEI Galleryがオープン。 |
2024年 | 「GT-Air3」、「J-Cruise3」発売。 |
※本記事はSHOEIが提供したもので、一部プロモーション要素を含みます。※掲載内容は公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。※特別な表記がないかぎり、価格情報は税込です。