
●記事提供: ライドハイ編集部
きっかけはNR500の敗退、2スト最後発の歴史に残る突撃ぶり
’80年代の2ストレプリカ時代を知るファンには、’88のNSR250Rといえば史上最強の2スト市販公道マシンに位置づけられる頂点マシンだ。
その完成度の高さ、それも他を圧倒して寄せ付けない圧倒的な強さとパーフェクトさを得るまで、まっしぐらに駆け抜けた開発スピードの凄まじさが語り草でもある。
そもそものきっかけは、ホンダが1978年に世界GP復帰宣言して、翌’79年シーズン終盤から走り出したNR500にある。
当時の世界GP頂点は500ccクラス。2ストローク4気筒のヤマハYZR500やスズキRGΓが凌ぎを削っていた。そこへホンダはかつて’60年代にもそうであったように、シンプルな構造でパワーを稼ぎやすい2ストロークではなく、高度なメカニズムを駆使した技術力で闘う4ストロークで挑戦しようとしたのだ。
ただ20,000rpm回しても通常のバルブ面積では2ストパワーに追いつかない。そこで捻り出したのが気筒あたり吸気4本と排気4本の8バルブを収めるオーバルピストンだった。ただ2シーズンとちょっとを経ても、2スト勢に追いつかない。
そこでまずは勝利を狙い遂に2スト化を決意。ただ当時のホンダには1974年のエルシノアという2スト単気筒モトクロッサーに端を発したCR125/250Rのレッドホンダ・モトクロスマシンしかノウハウがない。
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