
ヤマハワークス500の歴史――エディ・ローソンが15歳の少年だったころ、最初のYZR500、0W20がGPシーンに表れた。それから14年間。時が移り、人が変わるなかで、0W自身も絶え間なく進化してきた。そしてグランプリの歴史のひとコマ、ひとコマを演じ続けながら、0Wは0Wそのものの歴史を形創ってきた。波乱に満ちた歴史、しかし名誉ある、誇り高き歴史を……。
●編集:モーサイ編集部(上野茂岐) ●レポート&写真:八重洲出版『モーターサイクリスト』
イタリアの名門・MVアグスタの壁に挑む
日本製ワークスマシンが表彰台を独占し、当然のようにチャンピオンをさらって行くようになった世界GP500ccクラス。
しかし、ヤマハが初めてこのクラスに挑戦したころは、イタリアのMVアグスタが全盛だった。MVアグスタは1958年から1974年まで、17年連続チャンピオンマシンに輝いたのを含め、合計18回のタイトル、通算139勝という偉大な記録を残している。
日本のメーカーでMVアグスタの壁に挑んだのはホンダ4サイクルが最初で、1966年にはメーカータイトルを獲得、牙城の一角を崩している。2サイクルの挑戦はヤマハ以前にスズキTR500、カワサキH1Rが試みており、それぞれ1971年に1勝していた。
そして1973年。すでに250、350で実力をつけていたヤマハが発表したのが初代YZR500、「0W20」であった。 以後14年間、GPの歴史にその名を刻み続けてきた、開発コード「0Wナンバー」で呼ばれる2サイクル水冷4気筒マシン。その最初の型である。
※本内容は記事公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。※掲載されている製品等について、当サイトがその品質等を十全に保証するものではありません。よって、その購入/利用にあたっては自己責任にてお願いします。※特別な表記がないかぎり、価格情報は税込です。
あなたにおすすめの関連記事
日本と世界のチャンピオンによる夢のペア――走る前から期待は高まるばかり。実際、走り出せばキング・ケニーは他を圧倒。しかし――もしそのまま順調に勝っていたら、これほど語り継がれることはなかったかもしれな[…]
ヤマハのスターライダーがドラマチックなレース展開を演じた1985年の物語に続くのは、TT-F1レギュレーションで製作されたワークスマシンの紹介編だ。ケニー・ロバーツと平忠彦が走らせたFZR750[OW[…]
1988年の天才ケビン・シュワンツの苦闘を描いた前回に続くのは、もちろんその戦いに使われたワークスマシンだ。そしてスズキ編では、ヨシムラが作ったF1マシン(1988)とうりふたつの市販車(1989)に[…]
1991年にホンダWGPの新旧エースが見せた鈴鹿8耐での横綱相撲。その後も続く快進撃を支えたマシンは、'86、'87年に鈴鹿8耐を戦ったワークスレーサーRVF750(NW1C)をベースに誕生したVFR[…]
1993年、鈴鹿8耐優勝を遂げたカワサキ。今のところ1度きりとなっているその優勝劇は、すべてが噛み合って強力なベースマシンが仕上がったことが大きな助けとなった。TT-F1カテゴリーで最後の優勝車でもあ[…]