●編集:モーサイ編集部(上野茂岐) ●原文:小関和夫(当記事は八重洲出版『日本モーターサイクル史1945→2007』の記事を編集・抜粋したものです) ●写真:八重洲出版
東京都品川区。山手通りこと都道317号線でJR大崎駅から西に進むと、すぐに東急池上線の大崎広小路駅のガードが現れるが、それをくぐりさらに進むと今度は東急目黒線(旧・目蒲線)のガードが見えてくる。
目黒線のガードを越える先の左側が、目黒製作所の正門があったところだ(現在は東京日産のビルになっている)。
近隣の不動前駅からかむろ坂通りの周辺には数多くの目黒関連会社があった。エンジン担当の昭和機械製作所、鋳物の目黒合金鋳造所、車体担当の大和製作所、プレス部品の目黒板金工業、塗装の目黒塗装工業──。
しかし「目黒製作所」としての最後の生産拠点となったのは横浜で、「メグロK2」や「メグロSG」はカワサキの明石工場からラインオフしていくことになる。
戦前から大型二輪車の名門として君臨してきた目黒製作所に何があったのか?
戦後は目黒製作所初の250cc車「メグロ ジュニア」で生産を拡大、S型・J型などラインアップも広げる
第二次世界大戦の戦時中には工作機械を栃木県・烏山工場(*)に疎開させていた目黒製作所だが、戦後、烏山から東京・大崎の本社工場や各協力工場に工作機械を戻し、1948年(昭和23)年から生産を再開する。
当初は戦前に開発したZ97、Z98の一部改修版で、高価な500cc単気筒「メグロZ」のみの生産だったため、生産台数は年間約300台に留まった。
戦前のZ97、Z98をベースとして戦後に生産されたメグロZ。エンジンは500ccの空冷4サイクルOHV単気筒で、最高出力は13馬力。
しかし、1950年(昭和25)年11月に「メグロZ」を小型化したようなOHV単気筒の「ジュニア250ccJ型」を発売、手ごろな価格で大いに人気を博す。
結果、翌年には「Z」と「ジュニア」を併せ、生産台数は年間1593台に達している。
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