マシン・オブ・ザ・イヤー2018
昭和~平成を駆け抜けた国産名車たち

日本車LEGEND#9(平成9~12年)「世界最速」最終決戦

日本が生んだ伝説の名車たちを紹介するシリーズ。国産市販バイクが世界の頂点に上り詰めた昭和44年(1969年)から現代に至る50年の間に登場した”エポックメイキングなロードスポーツ”をテーマににお届けする。本稿は平成9~12年(1997~2000)、“「世界最速」最終決戦”編。

レプリカブームはリッタークラスへ。速度自主規制発動から世界最速ロマンも終焉へ

ZZ-R1100やCBR900RR、CB1300 SUPER FOURといった大ヒットが生まれたこと、そして教習所での大型二輪免許取得が可能になったことから、1990年代後半はビッグバイクブームが加速していく。そして登場したのは、ドゥカティに対抗しうる国産Vツイン勢。ヤマハTRX850のスマッシュヒットが引き金になっていた面もあるが、いずれにせよリッターレーサーレプリカが誕生してしまったのだ。さらにはYZF-R1がWGPマシンのような車体構成を引っ提げて衝撃のデビューを飾り、翌年にはハヤブサが登場する。「何が最速なのか」という、最速の定義すら書き換える勢いでレーサーレプリカとフラッグシップマシン(のちにメガスポーツなどとも呼ばれる)が頂点を競っていった。そして異形の12Rの登場とほぼ同時に、ハヤブサが先鞭をつけた速すぎる最高速度に対して規制する動きが生まれ、最速キング争いは収束していったのだ。

1997年は消費税が3%→5%へと引き上げられたほか、お台場のフジテレビ新社屋から本放送が開始された。東京湾アクアラインの開通もこの年だ。翌年の1998年は黒澤明監督とギタリストのhideが亡くなった。そしてiMacやウインドウズ98が誕生している。1999年、ノストラダムスの大予言は当たることなく、ミレニアムを迎えた2000年にはイチローがメジャーリーガーに。プレイステーション2が発売されたのもこの年だった。

CBR900RRの産みの親、馬場さんも驚いた3軸配置 YZF-R1

初代ホンダCBR900RRが切り拓いたスーパースポーツカテゴリーには、その後カワサキZX-9Rも追随したが、ムーブメントとしてブレイクしたのはこのR1の登場によってだった。大排気量エンジンを軽量コンパクトな車体に搭載して高い運動性能を発揮するというコンセプトを更に明確に標榜。主要3軸三角形配置によるシャーシ前後長の短縮、その一方でスイングアームを長めとし、よく動くサスペンションとするなど、現代に通じる数々の設計手法が導入された。それまでは900ccが最適解とされていたスーパースポーツ界においてリッター化を果たした意義も大きい。この後ライバルたちもこぞってリッター化。やがてレース界も席捲するのだが、まだこの頃はあくまで峠が主眼だった。

ヤマハ YZF-R1

【YAMAHA YZF-R1 平成10(1998)年】主要諸元■水冷4スト並列4気筒DOHC5バルブ 997.8cc 150ps/10000rpm 11.0kg-m/8500rpm■177kg(乾)■F=120/70ZR17 R=190/50ZR17

ヤマハ YZF-R1

エンジンの主要3軸を三角形に配置するレーサー譲りの手法が超コンパクトな車体に貢献。よく動く足まわりと組み合わせて抜群の旋回性能を実現した。

スーパーバイクレースもR系へ YZF-R7

スーパーバイクの750ccレギュレーション末期には、兄弟車となるR7も登場。やがてレギュレーション変更でR1そのものがレースの舞台でも主役となるのだ。

ヤマハ YZF-R7

【YAMAHA YZF-R7 平成11(1999)年】主要諸元■水冷4スト並列4気筒DOHC5バルブ 749cc 106ps 7.4kg-m ■176kg(乾)

打倒ドゥカティ、ホンダ本気のVツインレーサー VTR1000SP-1

スーパースポーツ人気の高まりとともに国産メーカーには見過ごせない存在も大きくなっていた。それはLツインのドゥカティだ。気筒数が少ないぶん軽量に仕上げられ運動性に優れ、図太いトルクと排気音も4気筒に慣れたライダーたちには新鮮でシェアを伸ばしていた。そこで国産メーカー各社も2気筒スポーツを続々と発売、これに対抗していくことになる。さらにホンダはSBレース用にホモロゲーションモデルのVTR-SPも投入。想定速度域が非常に高く、公道で普通に乗っていたらガチガチでまったく動かないサスなど、完全にレースベースを前提とした仕様となっていた。当時のホンダのトレンドのひとつだったサイドラジエターも印象的。

ホンダ VTR1000SP-1

【HONDA VTR1000SP-1 平成12(2000)年】■水冷4ストV型2気筒DOHC4バルブ 999㏄ 136ps/9500rpm 10.7kg-m/8000rpm■199kg(乾)■F=120/70ZR17 R=190/50ZR17

開発はHRCが主導。一般的なカムチェーンのVTR1000Fに対し、SP1/2はカムギアトレーンでエンジンは別物。車体も然りだった。

ライバルも野心的Vツインスーパースポーツで対抗 TL1000R

ホンダとともに積極的にVツインスーパースポーツを開発していたのがスズキだ。最初にアルミ製トレリスフレームのTL1000Sを投入。次にVTR-SP同様にツインスパーフレームで剛性を高めたレース用のTL1000Rを送り出した。エンジンはセミカムギヤトレーンを採用して高パワーを発揮。車体もロータリーダンパーサスペンションなど意欲的な機構が盛り込まれていた。

スズキ TL1000R

【SUZUKI TL1000R 平成9(1997)年】主要諸元■水冷4ストV型2気筒DOHC4バルブ 996cc 137【126】ps13.5【10.7】kg-m■192【187】kg(乾) ※【 】内はS

ホイールベース短縮策として編み出されたのがダンパー部を回転式別体型とするロータリーダンパー。ただ、うまく機能しなかった。

カワサキから「世界最速」を奪取 CBR1100XX SUPER BLACKBIRD

「世界最高性能」を標榜したスーパーブラックバードは、同時にカワサキZZ-Rから最速王者の座も奪取。「300km/h」がひとつの合言葉のようにライダーたちをスピードへと駆り立てた。日本でも大型二輪免許の教習所取得解禁も相まってビッグバイクブームはさらに高まるばかり。文字通りバイク界の頂点に立ったブラックバード人気は公道に留まらず、鈴鹿8耐S-NKクラスにも参戦するなど様々なチャレンジが試みられた。初代はキャブレター仕様で登場したが、’99年の2代目からはFIとラムエアシステムを導入。カタログ馬力こそ初代と同じ164psながら、さらなる性能アップが図られている。欧州300km/h自主規制以降はツアラー色が高められていた。

【HONDA CBR1100XX SUPER BLACKBIRD 平成9(1997)年】主要諸元■水冷4スト並列4気筒DOHC4バルブ 1137cc 164ps/10000rpm 12.7kg-m/7250rpm■223kg(乾)■F=120/70ZR17 R=180/55ZR17

最後の300km/hオーバーマシン Ninja ZX-12R

ホンダによって奪われた世界最速の座を奪還すべく、カワサキが総力を結集して作り上げたのが12R。前面投影面積を減らすために採用された量産車初のアルミモノコック・バックボーンフレームや、カワサキ航空部門の協力を得た高速域での浮き上がりを防止するウイングレット、吸入効率を最優先して前方に飛び出したラムエアインテークなど、惜しみなく新フィーチャーがつぎ込まれた。しかし、その存在こそスズキ・ハヤブサより先に知られていたが発売時期では逆転。12Rはノーマル実測で300km/hオーバーを実現しながらも、すでに欧州では速度自主規制が決定的となっており、最速ブームは急激に萎んでいく。出た時期が遅かった。

カワサキ Ninja ZX-12R

【KAWASAKI Ninja ZX-12R 平成12(2000)年】主要諸元■水冷4スト並列4気筒DOHC4バルブ 1199cc 178ps/10500rpm 13.6kg-m/7500rpm■210kg(装)■F=120/70ZR17 R=200/50ZR17

モノコックフレーム内部にはエアクリーナーやバッテリーを内蔵。燃料タンクは容量の半分がシート下へ潜り、重量配分の適正化に貢献。

速さ+運動性能で超ロングヒット GSX1300R HAYABUSA

CBR1100XXに世界最速の座を奪われて悔しいのはカワサキだけではなかった。ZZ-R1100が世界最速の座に君臨していたときの対抗馬はスズキGSX-R1100。そのスズキが俺たちを忘れてないかとばかりに12R発売を前にセンセーショナルにデビューさせたのが初代ハヤブサだった。350km/hまで目盛りは刻まれたメーターは伊達ではなく実際に312km/hを記録。量産車初の300㎞/hオーバーを果たした。だが、ハヤブサのあまりの速さに欧州では速度自主規制が’01年から実施されることとなる。しかし、12Rと違って運動性能も高かったハヤブサはその後も需要が続き、’08にフルモデルチェンジもするロングセラーに。縦目2眼の異形モンスターは今なお人気だ。

スズキ GSX1300R HAYABUSA

【SUZUKI GSX1300R HAYABUSA 平成11(1999)年】主要諸元■水冷4スト並列4気筒DOHC4バルブ 1298cc 175ps/9800rpm 14.1kg-m/7000rpm■215kg(装)■F=120/70ZR17 R=190/50ZR17

初代発売時、本誌がヨーロッパで行った最高速アタックではメーター読みで320km/hオーバーを記録。レッドゾーンまでまだ500rpmほど手前だ。

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帰ってきたネイティブ足立区民。ヤングマシン、姉妹誌ビッグマシンで17年を過ごしたのち旅に出ていた編集部員だ。見かけほど悪い子じゃあないんだぜ。
■1974年生まれ
■愛車:MOTOGUZZI V7 SPECIAL(2012)

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