人生論的WGP500王者インタビュー③ワイン・ガードナー

獣王・ガードナー先生が教える静なる心得

頂点を極め、ロードレース史にその名を刻みつけた男たち。荒れ狂う2スト500ccのモンスターマシンをねじ伏せ、意のままに操った彼らのスピリッツは、現役を退いて時を経た今もなお、当時の熱を帯びている。伝説の男たちが生の声で語る、あのライディングのすべて──。ヤングマシン’12年11月号掲載の「THE CHAMPION TECHNIQUE」より、豪快なライディングで世界を魅了したワイン・ガードナーのインタビューをお届けします。

豪快なスライディングでライバルを蹴散らした男が、未来について静かに語る。バイクに対する情熱と敬意は、現役時代よりも高まっているかのようだ。今もなお、バイクとともに「終わりなき物語」の渦中にいる52歳は、大人の落ち着きの中に、若者のように生き生きとした輝きを携えている。

人は、永遠にバイクに追いつけない

── ライダーの教育システムの整備が必要だと考えているそうですね。

ワイン・ガードナー(以下WG) 私自身は、誰からもライディングを教わらず、すべてを自然に身に付けていった。でも、今のストリートバイクは、かつて私が乗っていたGPマシン以上のパフォーマンスなんだ。信じられないよ!

問題は、お金さえ出せば誰でも買えてしまうことだ。だから私は、ライダートレーニングシステムの構築が必要だと考えている。

── バイクは非常に質が高くなった。コントロールもしやすい。でも、あなたの時代よりもライダー教育の必要性が高まっている……。

WG ああ。よいバイクは、ライダーを過信させる。だからみんな、自分の能力を読み違えるんだ。さほど経験がなくてもバイクが勝手に速く走ってくれるから、自分が何をすべきか分からないうちに転ぶんだよ。

私は、レースをしているふたりの息子によくこう言うんだ。『速くなりたいなら、ゆっくり走れ』ってね。分かるかい?(笑)

彼らにはこう説明している。『スピードを落としなさい。何が起きているのか理解するために。そしてバイクをどうコントロールするか常に考えなさい。パターンをつかみ、それを繰り返すうちに、スピードは後からついてくる』。つまり、速く走る前に、正しいテクニックを身に付けなくてはならないんだよ。

例えばライディングポジションだ。息子たちには、タイヤと車体の中心線に対して頭と体が真っ直ぐになるようにアドバイスしている。ライダーが正しい動きをして、グリップを見つけ、正しいラインを取り、正しいタイミングでスロットルを開けるためにね。すべては連動しているんだ。

── とても正統的な乗り方ですね。

WG そう。バイクは正統的な乗り物なんだよ。昔と今で、バイクは根本的に何かが変わったかい?

── ……いいえ、何も。

WG そう、バイクは何も変わっていないんだよ。昔よりマシンの出来はよくなっている。ライダーはよりよい装備に適応しなくてはならない。だが、本質は何も変わっていない。それをつかんだライダーが、トップの座に就くんだ。

バイクは、とても不思議な機械だ。人は永遠にこの機械を極めることはできない。永遠に、だ。完璧はあり得ない。それがバイクの美点だよ。

ライダーが体をどう動かすかで、走りは大きく変わる。ライダー次第で限界が変わる。ライダーは非常に重要な「コントロールユニット」として、ポテンシャルを引き出すんだ。

ただ自分がよかれと思って走っているだけでは、必ず転ぶ。ライダーはバイクに敬意を払わなくてはならない。勝つのはいつだってバイクだからね(笑)。敬意はとても大事だ。ついバイクへの敬意を忘れるから、気付いた時には路面に転がっていたりするんだ。

正統的で、常識的でいい。バイクには、敬意を払って正しく乗ることだよ。とても長い道のりなんだ、ライディングを極めることはね。

バイクを速く、そして安全に走らせるためには、やらなくちゃいけないことがたくさんある。ブレーキはどの指をどう使う? ギアは何? どれぐらいアクセルを開ける? クラッチはどうする? タイヤは何を使う? サスセッティングは? 座る場所は? たくさんの要素が複雑に絡み合う、面白いテーマだよ。

私は52歳の今もライディングについて学んでいる。長いねえ(笑)。本当に面白くて素晴らしいゲームだよ。完璧をめざし続ける「ネバー・エンディング・ストーリー」なんだ。

── GP時代のお話を伺いたいのですが、あなたの武器は何だったと思いますか?

WG スライディングは得意分野だったね。そして「ネバー・ギブアップ」でも有名だったよ。「強いハートを持ったグラディエーター」ってね。確かにその通りだ。私は夢の実現に向けて、全力で戦い続けた。

今の時代は、そう簡単じゃない。でももし自分自身が何かをしたいと思い、行動すれば、それは形になる。夢を抱き、目標を定め、すべきことを調べ、計画を立て、スタートすればいい。良識を携えてね。

道は長くて険しい。ジャングルの中を歩くようなものだ。いい時もあれば悪い時もある。でも、夢を忘れちゃいけない。それは自分を動かす原動力。タンクの中の燃料なんだ。一生懸命努力して、頭を使い、良識に従い、そして止まらないことだ。楽しみながらね。

── GPでもライディングを楽しめましたか? 大きなプレッシャーの中での戦いだったと思うのですが。

WG まったくその通りだね。大きな契約の重圧のもとで、成績を出さなくちゃいけない。でも私は、そういう状況を楽しんでいたよ。

プレッシャーに対してどういう反応をするかは、人それぞれだ。私は楽しむタイプだったが、そうではない人もいる。大事なのは自分のタイプを分析し、見極めることだ。そして自分に正直であることだね。

誰かにぶつけられてクラッシュしたとしても、そこにいた自分が悪いと考える。転倒した時も、バイクやセッティングが悪いのではなく、自分にミスがあったと考える。問題が自分にあると考えなければ、何の進歩もなく、同じミスを繰り返す。だから正直でなければならないんだ。

── GP時代のあなたは、そういうライダーでしたか?

WG たぶんね(笑)。「進入では僕もこういうミスをしたが、バイクもこうなるといいな」「旋回中にはらむのは、バイクのこういう特性と、僕の走らせ方の問題だ」「立ち上がりではエンジン特性をこうして、さらに僕のアクセルコントロールをこうすれば、もっとタイムを稼げる」といった具合だ。

よりよいリザルトを得るためには、マシンとライダーの両方が高め合う必要がある。そのためにも、自分のミスや課題を素直に認めなくちゃならないんだよ。面白い話だろう?

── ええ、とても興味深いお話です。が、残念ながら時間がないようです。最後に伺いたいのですが、なぜ’92年に引退を決めたのでしょうか? ビッグバンエンジンを得て、開幕戦の鈴鹿では転倒したものの、いずれ2度目のチャンピオン獲得も可能だったと思うのですが。

WG 確かにマシンは素晴らしかったが、鈴鹿でのケガが大きかったかたね。世界中を旅して、ケガをするような生活を楽しめなくなっていた。自分の中で疑問の声が聞こえたんだ。「若い頃はこれを楽しんでたよな。でも今はどうだ?」ってね。レースでは全力を尽くす。しかし、残り50年の人生について考えないわけではなかった。

その時私は32歳だったが、もうすでに15年もレースをしていたんだ。レースからは多くを学んだ。でも、まだまだ長い人生の中で、それはほんのわずかな一部分なんだ。私は人生という旅全体を楽しみたかった。

大事なのは、何かおかしいと思ったら、退くことだ。いい時間っていうのは、気持ちいいはずだからね。

ライディングを語る時には、2人いる息子さんの走行シーンを例に解説してくれた(※インタビューは’12年9月3日に行なったものです)。

Wayne Michael Gardner/1959年10月11日生まれ オーストラリア出身 自国でレースに参戦していた際にモリワキ代表に目を掛けられ、’81年に同氏のチームから多くのレースへ出場。モリワキモンスターを駆って出場した’81年の鈴鹿8耐では、世界のトップライダーがひしめき合う中、ぶっちぎりの予選最速タイムをマークして周囲を驚かせた(決勝はトップ走行中転倒リタイヤ)。鈴鹿8耐には通算10度も参戦し、優勝4回という実績を誇る。しかも、優勝以外はすべてリタイヤというドラマ性の高さもあり、日本での知名度&人気は高い。WGP500へは‘83年オランダより参戦開始。’84年にはプライベーターとして戦いランキング7位に入り存在をアピール。’86年のホンダワークス入りのきっかけとなった。’87年に念願のWGP500チャンピオンを獲得するが、翌年のアメリカGPでの右足骨折以降はケガのためチャンピオン争いから離脱し、’92年に引退した。

●インタビュー:高橋 剛

●インタビュー撮影:真弓悟史

●レース写真:HRC/YMアーカイブス

●取材協力:株式会社モビリティランド/本田技研工業株式会社

高橋 剛

高橋 剛

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カート上がりのバイク野郎。心震わす原稿が得意で、あのスポーツ名門誌・Sports Graphic Numberにも寄稿したりしなかったり。セッティングさえ出れば怖いものなしの隠れ文豪。

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