マシン・オブ・ザ・イヤー2018
人生論的WGP500王者インタビュー②エディ・ローソン

皇帝・エディ先生が熱血時代を語る

頂点を極め、ロードレース史にその名を刻みつけた男たち。荒れ狂う2スト500ccのモンスターマシンをねじ伏せ、意のままに操った彼らのスピリッツは、現役を退いて時を経た今もなお、当時の熱を帯びている。伝説の男たちが生の声で語る、あのライディングのすべて──。ヤングマシン’12年11月号掲載の「THE CHAMPION TECHNIQUE」より、ステディ・エディと呼ばれたエディ・ローソンのインタビューをお届けします。

シニカルな笑顔を浮かべながら、決して多くはない言葉を放り投げてくる。 偽りのない率直な言葉は柔らかい放物線を描き、心の奥まで染み渡る。 かつて4度世界王者になったエディ・ローソンの物静かな語り口調は、 時おり走るシャープな眼光と相まって、独特な凄味を発散した。

寝ても覚めてもレース。レースにすべてを捧げた

── あなたは「ステディ・エディ」と呼ばれ、手堅い走りが特徴的でした。ご自身でもそういう走りを意識していたのでしょうか?

エディ・ローソン(以下EL) ああ。痛い思いはしたくないからね(笑)。実際、クラッシュだらけの他のライダーたちよりもコンスタントに走っていたと思う。 ただ、僕もいつもドッカリとシートに腰を下ろしてるわけじゃない。時にはステディではなく、シートから腰を浮かしていたよ(笑)。

── アグレッシブ・エディになる時もあるわけですね。

EL ああ。僕はワイン・ガードナーやウェイン・レイニー、ケビン・シュワンツ、フレディ・スペンサーというスゴいヤツらと戦っていたんだ。アグレッシブになるべき時もあったし、慎重に走らなくちゃいけない時もあった。「ここ!」という山場では、もちろん極限まで攻めるしね。

ただ、僕はマシンのすべてをコントロールしているように見えたんだろう。もし僕にテクニックがあるとしたら、それは「すべてをコントロールしているように見せるワザ」じゃないかな(笑)。

── 実際のところ、どのようにコンスタントな走りを実現していたのでしょうか?

EL さあ(笑)。自分のスタイルってだけだからねえ。ただ、トレーニングはかなりしたよ。だから僕はレースの後半でも集中力が途切れることなく、速さを維持できた。ラストスパートをかけることもできたのも強みかな。最初から最後まで、リラックスして走り続けられた。体力は助けになったように思う。

あと、マシンフィーリングの好みははっきりしてたかな。ガードナーやシュワンツは細かいことを気にしない。「ノープロブレム。オレは行くぜ!」ってなものだ。でも僕はそうじゃなかった。嫌なフィーリングが気になって仕方ないんだ。

── どんな車体セッティングを求めていましたか?

EL 硬い車体で、リヤは低め。遅めのリバウンドが好きだったね。ステアリングダンパーもキツく締めてたよ。フロントが振られるのが嫌いだったから。みんなのに比べると車高が低くて動きが遅いバイクだったと思う。コーナーでスムーズに安定させたかったからなんだ。

クイックなマシンを好むライダーが多かったが、僕は気にしなかった。そういう動きは、自分の体で作り出せるものだからね。

セッティングなんか人それぞれだから何でもいいんだよ(笑)。でも僕のセッティングはタイラ(忠彦)のものとほとんど同じだったんだ。シャケ(河崎裕之)も同じだ。3人のセッティングは違いがなかった。

これはタイラと組んだ鈴鹿8耐はもちろん、GPでも非常に有利に機能したね。彼らはGPマシンのテストを担当していたから。彼らの好むマシンは、僕も好きだったんだ。

── あなたは常にブレーキレバーに指をかけていましたが、何をしていたのでしょうか?

EL 僕のGP最後の年に、ブレンボが初めてテレメトリーシステムを導入したんだ。彼らがそのデータを見せてくれたんだけど、僕はブレーキをすごくゆっくりかけていて、ノーズダイブもゆっくりだった。初期の動作がとにかく穏やかで、それから徐々にハードになっていくんだ。他のライダーがいきなり「ガツッ」とブレーキをかけるのと対照的にね。

ブレンボは僕のブレーキングが好きだったようだ。でも、自分ではよく分からない。ただ自分のやり方がそうだってだけの話だからね。

ブレーキングの時、ケビンはものすごい勢いで抜いていくんだ。テレメトリーのデータも、そりゃあスゴいことになっていた。ウェインはそれを見て、「ワオ、何だよケビンのブレーキングは!」なんて言ってたけど、僕はまったく気にしなかったな。ただ「キンタマでけぇな!」と思うだけでさ(笑)。

──当時のマシンと今のモトGPマシンはどう違いますか?

EL 2スト500ccマシンのエンジンは、パワーバンドが9000〜1万2500rpmととても狭かった。9000rpm以下は、パワーなしだ。そして9000rpmに、突然すべてが押し寄せてくる。すごく難しかったよ。旋回中、マシンが寝ているうちにその領域に差し掛かった時は、立ち上がっていなしていたんだ。

タイヤもよくなかったし、そんなので雨のレースもあるんだよ? もちろん電子制御もなしで。ひどかったけど、楽しかった。’60年代から現代まで振り返ってみて、あの時代はもっともライダーに「乗ること」が求められた特別な時代だったね。

今のモトGPマシンはどうだい? パワーバンドは6000〜2万rpmと広大だ。さらにトラクションコントロールがあり、ウイリーコントロールがあり、信じられないほど高性能なタイヤがあって、信じられないほどのシャーシがあり、信じられないほどのサスペンションがある。本当に信じられない! 僕のおばあちゃんでも乗れるよ(笑)。

── ほ、本当ですか!?

EL ウソだよ(笑)。でも、傾けて開けるだけだからね(笑)。モト3なんか本当に誰でも乗れるんじゃないかな。まったく問題なくね。

── マシンが乗りやすくなるのは、GPにとってよいことでしょうか?

EL うーん……、分からないな。いい面も、悪い面もあるだろう。

── では、今と昔ではどちらがいいと思いますか?

EL 僕に聞くのかい?(笑) 500ccの頃は運営費も安く、35人のライダーが競い合っていた。今は何もかもが高く、ライダーは15人しかいない。すべてがコンピュータに奪われて、スライドもウイリーも監視下だ。どっちがいいか? 分かってるだろう(笑)。

僕は一生懸命に仕事をしたし、すべてをレースに捧げた。朝起きた瞬間からレースのことを考えていた。寝ていても、突然目が覚めるんだ。「3〜4速のつながりを500rpm変えたい。ギアボックスを交換しよう!」ってね。寝ていてもこれだ。レースのために生きていたんだよ。

あらゆる時間がレースに勝つためだけにあった。トレーニングといえば心臓が破裂しそうなぐらい走ったし、自転車に乗ってる時は「フレディを負かしてやる!」と思っていた。……フレディ以外もね(笑)。

レースにすべてを捧げていたんだ。それがレーサーってものだろう?

セッション中もタイムシートを見て、「レイニーがこのタイム!? オレたちには何ができる? フロントフォークを換えて、ギアボックスを換えればタイムが出せるはずだ。とにかくやるぞ!」という具合だった。

今はどうだろう?「ヘルメットのカラーリングは……」「サングラスが……」「昼飯は……」とかかな。 実際はそんなことないよね(笑)。でも、そう見えてしまうんだよ。

僕たちは、レース以外のことは、まったく意に介さなかった。勝つこと。ただそれだけに集中していた。脳が勝利に縛り付けられていたんだ。

今とは違う時代の話さ。

自らの右手を指し「オレのトラクションコントロールはここにある」と語ったエディ。54歳となった現在も、強烈な覇気を内秘めているように感じられた(※この記事は’12年11月号に掲載されたものです)。

Eddie Ray Lawson/1958年3月11日生まれ アメリカ出身 ロサンゼルスの近郊・アップランド生まれのエディ・ローソンは7歳からミニバイクレースに慣れ親しみ、ダートトラックなども経験。21歳でAMA(全米モーターサイクル協会)の250クラスでランキング3位の成績を残す。翌年の’80年からカワサキでAMAスーパーバイクに参戦し、’81年と’82年にAMAスーパーバイク王者に登りつめた。また’81年はWGP250クラスの西ドイツ戦でGP初デビューを飾り、イタリア戦とフランス戦のスポット出場で貴重なGPの経験を積む。’83年からはWGP500クラスに参戦し続け、’92年の引退までに4度のシリーズタイトルを獲得した名ライダーとして、今なお根強い人気がある。

●インタビュー:高橋 剛

●インタビュー撮影:真弓悟史

●レース写真:YMアーカイブス

●取材協力:株式会社モビリティランド/ヤマハ発動機株式会社

高橋 剛

高橋 剛

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カート上がりのバイク野郎。心震わす原稿が得意で、あのスポーツ名門誌・Sports Graphic Numberにも寄稿したりしなかったり。セッティングさえ出れば怖いものなしの隠れ文豪。

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