人生論的WGP500王者インタビュー①ミック・ドゥーハン

覇王・ドゥーハン先生に学ぶ勝利の哲学

頂点を極め、ロードレース史にその名を刻みつけた男たち。荒れ狂う2スト500ccのモンスターマシンをねじ伏せ、意のままに操った彼らのスピリッツは、現役を退いて時を経た今もなお、当時の熱を帯びている。伝説の男たちが生の声で語る、あのライディングのすべて──。ヤングマシン’12年11月号掲載の「THE CHAMPION TECHNIQUE」より、日本人ライダーを蹴散らし続けた憎っくき(※現役当時)ミック・ドゥーハンのインタビューをお届けします。

恐るべき精神力の持ち主。度重なる大ケガから不死鳥のように復活し、強力なライバルがひしめく中、5連覇の偉業を成し遂げた。タフな男の言葉は、意外なほど平易だ。しかし、何事をも「イージー」と振り返るドゥーハンの瞳には、誇りの炎が燃えていた。

ロードレースへの転向はまったく楽なものだった

── ご自分のライディングスタイルはどのように確立しましたか? あなたの初期のレースキャリアはあまり知られていないのですが……。

ミック・ドゥーハン(以下MD) そうだろうね。僕はGPライダーになる前、ほとんどロードレースの経験がないんだよ。子供の頃は、ダートバイクに乗っていたんだ。16歳までの8年間ぐらいはダートトラックをしていた。’84年には2回ロードレースに参加して、’85年にも少々。そして’86年にはオーストラリアのインターステイツレース(州をまたいで行われる選手権)に何度か出た程度だ。’87’88年はヤマハオーストラリアのライダーになってスーパーバイクに乗り、’89年にはGPだからね。ホントにキャリアは少ないんだ。

プライベートチームのFZR750に乗り’87菅生TT-F1世界選手権へスポット参戦した若きドゥーハンは、第2ヒートでいきなり3位入賞(写真右)。’88年にはスーパーバイク世界選手権で優勝を記録したほか、鈴鹿8耐でも平忠彦と組んでその才能の片鱗を見せ、翌’89年よりホンダワークス入りを果たす。

── もっとも長く走っていたダートトラックの経験が、ロードレースに役立ったのでしょうか?

MD ああ。ライディングの基本を学んだよ。スライドした時にどう対処するか、とかね。ダートトラックは僕のライディングの基盤だ。スロットルコントロールとライディングポジションの大切さを学んだよ。でも、もっとも大事なのは、子供うちに始めるってことかな(笑)。

── 何も考えずに、あらゆる基本が身に付く……。

MD 僕自身がそうだったからね。ロードレースを始めた時、スライドコントロールはすでに僕にとってごく自然なことだったんだ。レースに限ったことじゃない。街乗りでも何でも、スライドのような動きがあった方が、僕にとっては気分がいいんだ。たぶん他のライダーよりその傾向が強いんだと思う。

── では、ロードレースへの転向に際して、苦労はなかった?

MD ああ、まったく(笑)。すごく簡単だったよ。ダートでの走行に比べればね。アメリカのダートトラックは、基本的にオーバル(楕円)コースのみだろう? でもオーストラリアでは左コーナーも右コーナーもある。マシンにはフロントブレーキもあるんだ。土の上でロードレースをやっているようなものだよ。

ワイドなエッジを持つこと

── GPライダーになったあなたは、圧倒的な強さで一時代を築きました。その秘密を教えてください。

MD 秘密か……。自分は自分の走りたいように走っていただけだから、よく分からないんだ(笑)。でも、バイクに乗っている時は、常に攻めていたよ。前の周より速く走るために全力を尽くした。大事なのは、安定して走ることだ。1周だけ速くても意味がない。常に同じラインを走れるように考えてもいた。レースのたび、テストのたび、周回のたびにね。だから決勝も楽なものだったんだ。いつものラップをずっと刻むだけのことだから。

── 限界まで攻めることは、転倒に近付くことでもあります。

MD その通り。でも自分にとってのエッジ(限界)にずっと居続けると、エッジは広がっていく。そうしたら、その広がったエッジのさらに先端に行く。そしてそこに居続ける。するとエッジが広がる。そしてエッジにいることに自信が持てるようになり、やがて快適になるんだ。優れたライダーは「ワイドなエッジ」の持ち主だ。だから限界域でもさまざまな挙動に対応できる。そしていつでもエッジの先端まで自分を押し上げることができるんだ。

── GPでは「スムーズなスロットルコントロールが身上」と言われていました。

MD レースをしていると、転倒することもある。その時に考えるんだ。「何が起きたんだ」「どうするべきだったのか」「何をするべきではなかったのか」って。その答えのひとつが、「スムーズなスロットルコントロール」だったんだ。

── あなたのライディングフォームは左右で大きく異なっており、非常に独特でしたね。

MD そうなんだよ! 自分では何とも思ってなかったんだけどね。たぶん左回りが多いダートトラック経験の影響で左コーナーではあんなフォームになって、右コーナーは正統的なフォームってことじゃないかな。レーシングライダーは、速く走るために最適なフォームを取るだけだ。それは人によって違う。だから僕も自分のフォームを気にしたことがないんだ。走ってる時は、自分のフォームなんか見えないしね(笑)。

── GPマシンの話を伺います。あなたは’94年からビッグバン(不等間隔爆発)エンジンのNSR500に乗りましたが、’97にはスクリーマー(等間隔爆発)エンジンに戻しました。その理由は? 一般的にはスクリーマーの方がピーキーと言われていますが……。

MD 実は当時、ビッグバンとスクリーマーでそれほど違いはなかったんだ。スクリーマーエンジンも扱いやすい出力特性になっていたし、電子制御も進んでいたからね。もともとのスクリーマーも乗ること自体は特に問題なかった。ただ、リヤタイヤのスピンが多かったから、これを改善するためにビッグバンが開発された。それからさらに数年を経てホンダの技術も進歩し、スクリーマーでもスピンを減らせるようになった。だから差はほとんどなかったんだよ。

── ではなぜ……?

MD 精神戦さ(笑)。みんなスクリーマーが好きじゃなかった。でも、僕はスクリーマーで勝ってる。「頭のおかしなヤツがスクリーマーで勝ちまくってる! オレたちも使わなくちゃ」。で、みんな嫌いなスクリーマーを選ばざるを得なくなったってわけさ。ゲームだよ(笑)。

── GPチャンピオンになるために、天賦の才は必要ですか?

MD ちょっとはね。テニスやサッカーやクルマのレースと同じように、少しは才能が必要だろう。そのうえで努力することだよ。僕は常にレースのことだけ考えていた。日々トレーニングをして、とにかくレースのことだけを考えてたんだ。

── たくさんの勝利を挙げながら、どうやってモチベーションを保ったのですか?

MD 僕は勝利を楽しんでいたんだ。勝つことは、2位になるよりも簡単なんだよ。分かるかなあ(笑)。自分自身が努力することは、2位やそれ以下でレースを終えるよりずっと楽なんだ。

── 負けるぐらいなら、頑張った方がいい、と。

MD そういうことだね(笑)。

── 最後に、今日のモトGPをどうご覧になっていますか?

MD ケーシー・ストーナー、ホルヘ・ロレンソ、ダニ・ペドロサの3人はとても強い。他のライダーは、たまに1発の速さは見せるけど、この3人ほどコンスタントには走れていないね(※インタビューは’12年7月28日に行なったものです)。

── 3人と、他のライダーたちの違いは何でしょうか?

MD 「そうなりたい」と思っているか、思っていないか。それだけじゃないかな(笑)。いや正直、本当にそれだけだと思うんだ。ポイントを獲ればそれでいいってわけじゃない。本気でベストライダーになろうと思っている連中が、ベストライダーになるんだよ。

Michael “Mick”Doohan/1965年6月4日生まれ オーストラリア出身 1994年〜1998年までにWGP500を5年連続で制覇した絶対王者。

●インタビュー:高橋 剛

●インタビュー撮影:鶴身 健

●レース写真:YMアーカイブス

●取材協力:株式会社モビリティランド/本田技研工業株式会社

高橋 剛

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カート上がりのバイク野郎。心震わす原稿が得意で、あのスポーツ名門誌・Sports Graphic Numberにも寄稿したりしなかったり。セッティングさえ出れば怖いものなしの隠れ文豪。

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